私の住んでる町は炭鉱で栄えた町。


今は2万弱しか人口が居ませんが
炭鉱全盛期の昭和40年代は10万人に迫る勢いがありました。


もちろん
ほとんどが炭鉱従事者。


私が産まれた時は
すでに炭鉱は衰退して人口が減少しはじめてきました。


その石炭の運搬には鉄道が必要不可欠。
函館本線から分岐して炭鉱鉄道が昭和47年に廃止されてます。


年月が経ち
炭鉱関連の施設は取り壊されたりしてます。

しかし
年に数回だけ
炭鉱鉄道で唯一保存されてる駅の内部公開されてます。


地元に居ながら
初めて内部に入りました。


既に50年は経つ建物は定期的に手入れされ意外とキレイです。


最終日のまんま残され花チャンのこんな親子ですが……-P1030436.jpg

一日2本しか列車はありませんでした。


手荷物が不明になると花チャンのこんな親子ですが……-P1030437.jpg
こんな風に告知されるのかな。


券売機だと思うけど
花チャンのこんな親子ですが……-P1030434.jpg

運賃表が無いし


花チャンのこんな親子ですが……-P1030435.jpg
ボタンも無い。
10円玉しか対応してなく電装系らしいモノは何も見当たりません。公衆トイレの入口にあるティッシュ自販機みたいな感じでしょうか。


事務室には

花チャンのこんな親子ですが……-P1030438.jpg

これまた古い時刻表が貼ってました。
本州と北海道を結ぶ青函連絡船が元気いっぱい活躍。


花チャンのこんな親子ですが……-P1030441.jpg

今では列車名も廃止になったモノばかり。


しかも「第2」とか号数がアタマで呼ばれるんですね。


花チャンのこんな親子ですが……-P1030443.jpg


夜行もバンバン走ってました。


花チャンのこんな親子ですが……-P1030442.jpg

右上には「昭和42年3月」の文字が。


「ヨンサントウ」と呼ばれた昭和43年10月改正以前の時刻表。

東海道新幹線は開通してたけど
マダマダ蒸気機関車が幹線を走ってたギリギリの年です。
この「ヨンサントウ」改正で東北本線が複線電化されSLが淘汰されスピードアップが実現。

新幹線や飛行機が「高嶺の花」だった時代に長距離移動では何度も乗り継ぎを強いられ目的地に向かう光景が目に浮かびます。


ホコリぽい一枚の時刻表の前に軽く1時間は居た私。
さぞかしヘンに思っただろうね~