去る4月10、11日の両日で、SKE48の功労者である松井珠理奈と高柳明音の卒業コンサートがありました。

 

今回は松井珠理奈について語ります。

 

3年前のナゴヤドームで行われたAKB世界選抜総選挙。

私はその時、河村市長の側近で、その現場を見ていました。

 

「第1位 松井 珠~理~奈~!」というコールを聞いた瞬間は、

私も思わず目頭が熱くなりました。

彼女が泣きながら、感謝のコメントを伝えてる最中、

結成からの彼女との想い出が、私の頭の中をグルグル駆け巡りました。

 

SKE48 1期生の最終オーディション。

彼女は何らかの理由で集合時間に間に合わず、

そのせいもあって、歌唱オーディションでは一番最後に歌うという順番になりました。

そこまで数十人をオーディションしてきた私たち審査員も少し疲れを感じてた頃合いで、

彼女に出会いました。

(この時の映像は、ファンの方なら何度となく見たことがあるかと思います。)

 

直後の審査の際、秋元先生が「この娘、センター決定!」と言って、

珠理奈のオーディションシートを差し出されました。

 

未来のアイドルを見抜く目など到底持ち合わせていない当時の私には、

この先生の一言を信じるしかありませんでした。

 

その日のAKB48の劇場公演中に、SUNSHINE SAKAEからの先生の生コメントを発信し、

「ダイヤの原石を見つけた!」と言う先生の興奮した声に、

当時のAKB48のメンバーも、AKB劇場にいたファンたちも

騒然となったのを覚えてます。

 

あの時、11歳で小学6年生だった彼女は、今や24歳。

SKE48の絶対的エースとして、

48グループの頂点にも君臨し、

アイドルブームを確立してくれ、

日本のサブカルチャーを世界に広めることにも貢献しました。

 

そんな素晴らしい功績を残してくれた彼女ですが、たくさんの困難にぶつかって、

その都度、めげずに、前を向いて立ち向かっていきました。

 

AKB48のシングル「大声ダイヤモンド」でセンターを任されるという衝撃なデビュー。

最年少な上に、姉妹チームの新人がいきなり本家のセンターということで、

大変なプレッシャーの中、彼女のアイドル人生が始まりました。

 

アンチファンからの誹謗中傷、選抜総選挙での納得いかない結果や、誤解を生んだ報道などなど。

様々なハードルがありましたが、彼女は常に逃げることなく、真っ向から受け止め、クリアしていきました。

 

その姿が勝気に受け止められたのか、

周りの人間からも「珠理奈は強いから大丈夫」と思われ、

本人もそれに応えようとしました。

絶対的エースだからこその苦悩を押し隠し、

反論したい気持ちを封じ込め、

自らを強い人間のように振舞っていました。

 

しかし、人間ってそんな強い生き物ではありません。

悲しいときは涙が出るし、

寂しいときは人にすがりたいし、

腹立たしいときは怒鳴り飛ばしたいし。

 

私の知ってる珠理奈の本来の姿は、

“ナイーブで傷つきやすい一人の女の子

 とっても甘えん坊で、屈託のない笑顔がひと際カワイイ

 友情や家族をとても大事にする

 愛に溢れた女性らしい女性”

なのです。

 

そんな彼女と、『SKE48』という名の愛知・名古屋のNo.1エンタテインメントプロジェクトを一緒に創り上げられたことは、

私の一生の宝物です。

 

今月末でアイドル生活が終わり、重い荷物を下ろしたら、

是非、明音ともども美味しいものでも食べに連れてってやろうと思ってます。

 

人生はまだまだこれからの方が長いです。

今後も珠理奈らしく、新たな可能性にチャレンジしながら、

明るく、楽しく、次の世界に進んで行ってほしいです。

 

珠理奈、本当にお疲れ様でした。