愛の反対は | 親しき仲にも努力あり~夫婦の終焉と帰趨~

親しき仲にも努力あり~夫婦の終焉と帰趨~

息子とreggaeと時々釣り

の予定だったけど、なんか離婚になりそうです
※2024.2 離婚が成立しました※

夫婦なんて所詮他人
お互いが努力をしなければ、心なんて簡単に離れていく
気が付いた時にはもうここには無くなっていて、、、
そんなことを思う日々です

「好き」の対義語は「嫌い」

 

「愛」の対義語は「憎」

 

しかしこれは国語的な答え。

 

実際は

 

「愛」の反対は「無関心」

 

有名な話しですよね

 

有名人も「アンチもファンのうち」とか言ったりしたのを見たことがありますが

 

アンチとはいえ相手のことを考える時間が少しでもあるということですからね。

 

無関心にはそれがありません。相手に使うエネルギーはずっと0です

 

本当にそうだなと実感します。

 

 

 

私たち夫婦は昔から絶妙な距離感で生活していました

 

お互いをあまり干渉しない。束縛しない。しかし無関心な訳ではない

 

私自身その距離感に助けられていた。ペースを作りやすく仕事にも集中できた

 

もちろん仲も良い。お互いが信頼とリスペクトの上に成り立っている

 

そのスタンスは、ずっと変わらないと思ってた。勝手に思い込んでた

 

 

愛や信頼や尊敬、そういう「気持ち・想い」は全て目に見えない

 

昔は確かにあった。目に見えるかのように感じていた

 

しかし月日が過ぎ、歳を取り、子供が生まれ、生活と共に「気持ち・想い」も変わっていく

 

今思えば、少しずつ少しずつズレが生じていたことに、その時々気が付いていた気がする

 

ただその距離感に甘え、仕事が忙しいことを盾にして、目を反らしていたように思う

 

「気持ち・想い」は数値化することなんてできないが、妻の私に対する気持ちは間違いなく減っていった

 

今ではもう絶妙な距離感ではなく、完全に無関心になってしまった

 

それは妻自身の防衛策だったのかもしれない

 

壊れそうな心を守る為だったのかもしれない

 

結婚生活や子供たちを守る為だったのかもしれない。

 

今言えるのは、なぜ目に見えないからこそ言葉で確認し合わなかったのか

 

なぜその都度お互いで話し合わなかったのか

 

まぁ今ならなんとでも言えるんですけどね。

 

 

 

最近妻にハッキリと言われました

 

「もうアナタに関心はない」

 

 

 

同じような状況の方がもしいらっしゃいましたら、手遅れになる前に、後悔する前に

 

気持ち・想いを言葉で伝え会って、悲しい未来を回避してください

 

察する美学より伝える努力です

 

どれだけ一緒に月日を重ねても、いや、一緒に月日を重ねた分だけ、お互いの努力が必要になると思います

 

 

愛の反対は無関心

 

そうなる前に、、、本当に苦しいです