毎度毎度の生きるの今回はラストでございます、多分?
「生きる」は渡辺勘治を演じた志村喬が48歳の作品である。以下は本作を
熟知されている方むけに思うところを記していくとしよう。
ミイラとあだ名されていた渡辺勘治が下水溜まりの広場の公園作りに精
魂傾けたのは残り少ない生に濃密な時間と空間に思いっきり身を委ねたか
らだ。わたしたちが普段目にしている街並みにある日突然、あっ、こん
なお店があったのかと気づくことってありませんか、そうですわたしたち
は見ているようで実は見ていないのです。ところがここにあなたの命は
あと半年ですと宣告されたらこの世のすべてが愛しくせつなくかけがいの
ないものに変わるのです。ようするに時間が濃縮されるのです。勘治が
夕日をみて「なんて・・美しい」このシーンでは他人の何倍かの感動を覚
えているはずです。
映画のラスト近くで車座になった課員たちが渡辺さんに続けとばかりに熱
っぽく語るシーンがございます。藤原釜足演じる大野係長が「ぼくはね、
生まれ変わったつもりでやるよ」通夜の席上と清めの酒の勢いもあって
のセリフですが正しく生きている、いきいきとした絵になっております。
ところが凡人の宿命で翌日にはすっかり忘れて旧態依然、いやはやなん
とも。
ひとつ気になったところがございます。それは通夜の延々としたシーン
ですべて故人を名前で呼んでいたことです。少なくとも課員たちは課長と
いうのが自然だと思うのですがどうでしょう。
ここでリメークされた『生きる/LIVING』について考察します。2022年の
英映画ですが時代設定はオリジナルが公開された翌年1953年となっており
ます。リメークをヒットさせるのは並大抵ではないですが良く出来ている佳作
といえます。ただ惜しむらくはオリジナルに忠実たらんとして齟齬をきたし
ていることです。
ウイリアムズ市民課長がクリニックでの検査結果を聞く場面ですが最悪の結
果は織り込み済みで何度も反芻したはずです。ですからショックのあまり無断
欠勤で海辺への逃避行は?です。次に自分よりはるかに若い劇作家と一晩中
飲み歩くでしょうか。ナナカマドの木を唄う場面は遊び慣れた感じが出すぎの
ようです。そして陳情書にあった遊び場の現地調査で大雨のなか汚水溜まり
に英国紳士が革靴にて入っていくだろうか。また例のブランコのシ-ンで靴を
大地につけたままであったことが残念でした。
映画のクレジット後の緑の草原地帯を行く蒸気機関車の絵は観客をどこへ連れ
て行くのかと思われたがこれはオリジナルでは通夜場面の課員の会話を列車
内に置き換えるための策であったことがわかる。
第二次世界大戦の戦勝国と敗戦国の違いが歴然としているのが印象的である。
面白いのはオリジナルでのうさぎの玩具がカズオ・イシグロ脚本に登場したこ
とである。どこで見つけたのか苦労しただろうなと思わず笑みがこぼれます。
小田切とよがゼンマイを回してうさぎがテーブル上を飛び跳ねる玩具が輸出さ
れクレーンゲームでマーガレット・ハリスがそのうさぎをゲット「LIVING」
が翌年の設定だから計算上はあう。でもこの時代クレーンゲームにキャラクタ
ーのぬいぐるみがあったのか疑問が残ります。
渡辺勘治が絶望のなかリクエストしたゴンドラの唄を歌うシーンでは一度も
瞬きはしていません、目にいっぱいの涙をため異様なさまです。チークダンス
の客たちも怪訝な眼差しで勘治を見、踊りを止めてしまいます。
ビル・ナイ、71歳の作品ですが若いときはパリにいき小説家になろうとしたが
一行も書けず題名のみだったとか。
三船敏郎は志村喬を父親のように慕ったという、また鴛鴦歌合戦(おしどりうた
がっせん)では共演のデックミネが志村の歌の上手さに驚き歌手デビューを進
めたという、実際にテイチクからスカウト話があったとか。
実は鴛鴦歌合戦のDVDを手に入れました、あとでゆっくり見ることにします。
お読みいただきありがとうございました