作曲家であり音楽評論家であり追手門音楽院大学客員教授の門田展弥様より、わざわざ特別にコンサート評を頂戴いたしました。本当にありがとうございます。


ご一読いただければ幸いです。


桐榮哲也


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日本演奏連盟主催 新進演奏家育成プロジェクト リサイタル・シリーズ

「桐榮 哲也 ピアノ・リサイタル」に寄せて

 

門田 展弥(作曲家、音楽評論家、追手門学院大学客員教授)

桐榮君のピアノを初めて聴いたのは2012年王子ホールでのリサイタルであった。その印象は今も鮮烈である。メジャーなコンクールで優勝し一躍スターになったもののその後伸び悩む幾多の若い音楽家とは異なり、自らの音楽を真摯にそして奇を衒わず地道に追い求める姿に魅せられた。当時はベルリンより一時帰国とのことであったが、その後さらにパリへ留学、研鑽を重ねたとのこと。ここまで徹底的に勉強できるということ自体、才能の豊かさを示すものに外ならない。以下プログラムを追って書きたいと思う。

1.モーツァルト:幻想曲 ハ短調 K.475

多くのピアニストが最も難しいと言うのはモーツァルト。言うまでもなくモーツァルト時代のピアノと今日のピアノは全く別の楽器である。当時の楽器から発想された音楽をいかに今日の楽器で演奏するか、それは大きな課題である。桐榮君の演奏は今日の楽器の特性を最大限に生かすものであった。音の美しさとその変化を信条とする彼にとってそれは至極当然なことなのであろう。この上なく美しいピアノの音に酔いしれた。

2.シューマン:クライスレリアーナ

シューマンとクララの小説のごとき愛の物語はよく知られているところであるが、クララへの愛に駆り立てられていた時期の作品には正に熱に浮かされたような趣がある。この熱き思いを桐榮君は作品から何の誇張もなくごく自然に導き出した。作曲当時のシューマンの年齢に近いことがそのような率直な表現につながったのかもしれない。様々な表情の織り込まれた8曲から成るこの大作を雄大に弾き通した。

3.スクリャービン:ピアノ・ソナタ 第4番

ピアニストにとって最も重要なレパートリーはロマン派であるが、同時に伝統的和声から離れ遠ざかってゆく19世紀末から20世紀初頭の作品も極めて重要である。何故なら、そういった作品で試された和声はピアノの存在なくして考えることはできないからである。4年前のリサイタルで桐榮君は現代日本の作品を見事に弾きこなした。今回のスクリャービンにおいても近代和声に対する鋭い感性を示した。

4.リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調

後半、一段と熱のこもってきた演奏がここで頂点に達した。テクニックは十分であるが、この作品の奥深さを表現するにはまだいささか若すぎるのでないかとも思われたが、実際にはリストの最高傑作とも言える作品を冒頭から最後の和音に至るまで淀みなく存分に余すところなく弾き切った。いかにもロマン派的なひとつながりの長大な作品なるがゆえに、演奏の組み立て、設計を綿密にプランしておく必要があることは言うまでもない。瞬時の閃きと長大な作品を弾き切る構成力に今回も桐榮君の大いなる将来性を見出すことができた。

(2月14日、東京文化会館小ホール)