弱い者いじめの構造 | 太田哲也とKEEP ON RACING

弱い者いじめの構造

いじめ問題が白熱し教師の事なかれ主義が糾弾されている。
出演者が強い口調で教育者の責任を追及する。
テレビをつけるとそんな場面ばかりだ。
でも僕はマスコミが想定する「理想の学校」に
現実との大きなギャップを感じるのだ。
学校の窓ガラスを割ったら昔なら子どもが怒られた。
今は、「学校に石が置いてあるのはおかしい」と
逆に学校に抗議する親がいる。
通信表の採点にクレームを入れる親もいる。
学校に来て何時間も抗議していく。
そうしたわけのわからない親にも教師は対応しなければならない。中には、
交通費を出せという親もいるそうだ。
そうした学校は一部だと思いたいが、
もし自分が先生として赴任してきて、
こんなモンスターペアレンツを相手にしなくてはならないとしたら、
どう対応するだろう?
それでも熱血を通せるか。
事なかれ主義に流れるかも。
昔は、先生が強くて恐かった。
拳骨やパンチは当たり前。何かあったら親が呼び出されて怒られた。
酷い子は退学をちらつかされた。
でも今は、
殴ることはできないし、
下手に注意をしたら「うちの子に何をッ」と
モンスターがやってくる。
そもそも、いじめはもちろん憎むべきだが人間の本質でもあり、
そういう気持ちが沸いてくることをなくせはしない。
その感情を理性で抑えるわけで、
その大切さを教えるのが親や教師の役目だろうが、
そのためには子どもに聞く耳がないと。
昔は教師に威厳があった。
けど、その威厳が失われた今、
教師に問題解決の全責任を負わせようとしても
無理としか思えない。
先生がインタビューに答えている姿を見ると
胸が苦しくなる。
テレビは加害者の親にはインタビューできないから、どうしても
答えを教師に求める。
結果的につるし上げの構図となる。
チャンネルを替えると学校での説明会の様子が流れている。
生徒の親がヒステリックに
「何を考えているんですかッ」「無責任じゃないですか」と糾弾している。
先生は「申し訳ありません」と言うしかない。
それでも許してはくれない。
しつこく答えを求められる。
もちろん当事者の教育関係者は
無責任だと思うよ。でも悪いのは
教師だけじゃないだろうとも思う。
社会全体の問題だ。
テレビで流れている多くのシーンは、
問題解決のための方策探しではなく、
出演者のパフォーマンスと弱い者いじめの構造を絵に描いた
TVショーだ。
それを観てお茶の間ではおそらく「酷い教師だな」と。そして
傍らの子どもは
弱いものいじめの構造を学んでまねをする。
こんなんでいいのか!?