1.どんな本?
「ローマ帝国衰亡史」は18世紀にイギリス人のエドワード・ギボンが書いた、古代ローマ帝国の歴史書。
200年以上昔に書かれた本だが、現代まで世界中の人に読み継がれている凄い本である。
原著はあまりにも膨大な量で読めるわけないため、PHP文庫が出している文庫本を読んだ。
エッセンシャル版として1冊にまとめてくれている。
一冊とはいえ、文庫本サイズで800ページ以上の極厚本になっており、かなり読み応えがある。
2.読む際の注意
さて、いきなり注意点からで申し訳ないが、
多少なりとも予習をした方がいい。
本書は冒頭でローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスがサラッと登場する。
ローマ帝国はこれまで共和政だったのをカエサル(ユリウス・シーザー)が帝政に移行し、それをアウグストゥスが引き継いだのだが、その辺の記載がなく、いきなり帝国が完成してある状態からスタートするため、少しモヤモヤする。
また、帝国が東西に分裂し、西側から先に滅亡することも知らないとキツイかも知らない。
要するに、ローマ帝国の歴史について多少は知っていることを前提としている感がある。
(ギボンの原著の方は詳しく書いてあるかもしれないが、読んでいないから知らない笑)
なので、こういった本で予習することを勧める。
あとは、昔の人の本なので、地図、写真、表などが全くない。
私なんかは、wikiの「ローマ帝国皇帝一覧」を常に開きながら読んでいた笑
↓こういった地図もないため、例えば、「ガリアってどこや!!!」など思ってしまう。
しかし、この程度で「ムカつく」「読みにくい」と言う人は反省した方がいいかもしれない。
というのも、本書は教科書っぽい事実の羅列ではないことが大きな特徴である。
まさにこの期間は、全体を通して蛮族の侵寇や軍人皇帝の暴政に悩まされなかったときなどひとつもなく、帝国は疲弊きわまり、瓦解に瀕していた観があった
デキウス帝、享年五十。戦時においては勇敢、平時においては温厚であったこの皇帝は、長子とともに、生死そのいずれにおいても、道徳の鑑ともいうべき明君であった。
このように、けっこうギボンの感想が入る。
また、ドラマチックな書き方も印象的である。
「なに、孤児だと?」「わが一家を滅ぼした男が、余のことを孤児であったというのか? 長年忘れようと努めてきた数々の仕打ちにたいし、なんと暗殺者自身がその報復をせまるとは!」
ああ、最後の皇帝コンスタンティノス。その苦難と最期とは、歴代東ローマ皇帝の栄華よりはるかに光彩を放っている──。
と、ギボンも演出を入れている。
以上から、
本書は小説・文学のような感覚で、激動のローマ帝国の歴史を楽しめる。
蛮族の戦いも押されっぱなしではなく、有能な皇帝が出てきた時は形勢逆転するため、単純にこのへんの攻防戦もおもろかったなあ。
ちなみに、ローマ帝国が滅亡した理由をギボンは次のように述べる。
衰退の原因については、疑問の余地はない。
それは異常な膨張の必然の結果にほかならない。
つまり、帝国の領土を広げ過ぎて蛮族から守りきれなくなったのである。
しかし、原因はこれ一つではない。
結局は蛮族のせいで滅ぶわけだが、その根本や背景は色々な問題がありそうである。
・暴君や無能な皇帝
•キリスト教の対立
・蛮族を傭兵としたこと
・平民のみ増税(貴族は免除)
など、色々考えられる。
個人的には共和制から帝政に移行したことがそもそもの間違いな気がする。
法体系が脆弱すぎたとも言える。
普通は逆で、帝政から共和政の方がけっこう上手くいく。そう何年も優秀な人物は続かないからである。多少能力の低い皇帝でも、強固な法律のシステムがあれば何とかなる。
古代日本の律令国家がいい例である。
雄略天皇〜天武天皇あたりまでは軍事力や政治力に優れたカリスマが統治していた。
無能と見なされると崇峻天皇(たぶん、仲哀天皇も)のように暗殺されたため、こうした事を繰り返すと国力が低下する。
701年に大宝律令ができてから、個々の能力依存が減った。
と、自分の考察を加えながら読むと面白いかもしれない。
4.おわりに
本書はタイトルのとおり、ローマ帝国の衰亡を中心に書いた作品である。
たまに、「ローマ帝国興亡史」と間違える人がいるらしいが、「興」の部分はほとんど描かれていない。
あくまでも、帝国の衰退にスポットライトが当たっているため、「こうやって落ちぶれたんだなぁ」
と意識して読むといいと思った。
本書は「歴史の勉強だ!!」と気合いを入れて読む必要はない。
自分なりに好きに読めばいいと思う。
おしまい。
※読書感想なので本の詳細な内容は書かないが、簡単な要約だけざっと書いておく。
カエサルの跡をついで、アウグストゥスが紀元前27年に初代皇帝になる。
五賢帝(ネルファ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌス・ピウス、マルクス・アウレリウス)時代のAD96年〜180年にローマ帝国は最盛期を迎える。
アウレリウスの息子の暴君コモンドスを始めとするダメな皇帝が続く。
さらに、250年頃ゴート族などの蛮族の進行が本格化。
286年、ディオクレティアヌス帝が各方面からの蛮族に対応するため、帝国を東西に二分し、それぞれ正帝と副帝をおいた。(自分は東の正帝)
内乱に発展し、西の正帝のコンスタンティヌス帝がローマ世界を再び統一。キリスト教を国教とする。
ウァレンティニアヌス帝が、再び帝国を東西に二分(自分は西の正帝)。
387年、ハドリアノポリスの戦で、東のウァレンス帝がゴート族に大敗。
以後、ゴート族の帝国定住を許す。
テオドシウス帝が東の正帝に。帝国は東西に二分されつつも、この皇帝がローマ帝国の全てを仕切っていた。
395年、そのテオドシウス帝が亡くなると帝国は実質的に完全分断。
ゴート族が反乱。東の首都コンスタンティノープルは城壁に守られて無事だったが、西の首都ローマが完全に蛮族に征服される。
幼帝ロムルス・アウグストゥルス476年に幽閉。これで、西ローマ帝国が滅亡。
西ローマ帝国の首都であるローマ(=イタリア)が陥落した時点でローマ帝国は終了。ギボンもここで止める予定だったが、人気が出たため、後に東ローマ帝国の終焉まで執筆した形となる。
ビザンティン帝国と呼ばれる東ローマ帝国は145 3年、イスラム勢力のオスマン朝トルコに滅ばされる。