昨日はみなさんの好きなものを教えて下さってありがとうございました!

好きなことを語る人は目がキラキラしてます。いつまでもその輝く眼差しを忘れないでいたいですね。




人の美しさは内面から滲出されるもの。

身も心も美しいとはよく言ったもので、これらは共存するものだと思ってます。

個人的な経験上、特に注目してるのは美しい人で人の悪口を言ってる人をあまり見たことがないことです。

美しい言葉がその人を美しくすると言います。美しい言葉が植物の成長や雪の結晶などに影響を与えるという実験結果もあります。


脳科学的な話をすれば、脳は主語の認識力が弱いため、自分への悪口も、他人への悪口も同じように受け取り、処理してしまいます。

つまり人の悪口を言っている人は、知らないうちに自分自身に暗示をかけてしまってるんですね。


タイガーウッズ選手に関する有名なお話があります。彼は試合中、ライバルのプレーを本気で応援しているらしいです。
ここで、相手が外せば自分の優勝が決まる場面でも、彼は相手がベストのプレーをすることを心から望んでいます。

成功へのイメージを常に持っていること、無駄に失敗のイメージを持たないこと。

簡単なようで難しいこのことが彼のプレーを本物にしている秘訣だと思います。



美しい人もきっと同じ。
その人の中に理想のイメージを常に意識して生きている人は美しいと思います。

そういう人は夜更かししないし、体にいいものを食している。ストレスを溜め込まないように努力してるから、いつも明るい表情をしている。ネガティブな言葉よりもポジティブな言葉を使っている。

そんな意識の毎日の積み重ねがその人を美しい人たらしめているんだと思います。





~ここからはちょっと個人的な話~

学生の頃、集まって先生や親の文句を言ってる人たちがいました。僕はそういうのに参加できませんでした。

別になにかあったわけではなく、単に人の悪口言っても何も解決しないし、時間も感情ももったいないと思っていたからです。

正しいか悪いかの話ではないですが、責任の対象は局在しているわけではなく、その空気の中に偏在していて、その空気が不可避的にその対象を分泌しているとも思っていました。


なので自分の正しさを主張するために、誰かを否定するのはちょっと違うなと思ってました。特に相手が好意を持ってくれているなら尚更のこと。

それだったら自分の正しさを証明できなくてもいいかな、自分が犠牲になって済むならそれでもいいかなと考えていました。

こういう考え方は共感されにくいと思います。なので僕はよく誤解をされていました。

それに僕の行動は、同時に、なにかと理由をつけて単に面倒なことから逃げているだけであり、人と向き合ってなく、甘えてるだけだとも思いました。

なので今では、そういう争いを好まないで生きてきた僕にとって、次のステップを目指すために改めたいポイントの一つだと捉えています。


本当はこういう他人の文句を言う人たちには言いたいことはたくさんありますが、こういう人たちはあまり人の話を聞いていなかったです。


なので、代わりに悪口を言えない方の人たちに伝えたいです。

あなたのその、人のことを悪く言えない純粋でキレイな心はとても価値があることです。誰にでもできることではないと思います。あなたが信じていることは間違ってないので、周りの雑音に惑わされず、自信をもってゆっくり大人になって欲しいです。

そういう人の方が少数だと思うから、きっと集団の中に馴染めず、時として奇異な目で見られがちだけど、少数派になることを恐れてはいけません。

どこかにあなたと同じようなことを思ってる人がいて、あなたを必要としている人がいます。

あなたは、そんな人たちの力になることができるということを忘れないで下さい。

人の悪いところを探すより、人のいいところを探して下さい。そして褒めて下さい。

美しい言葉を話すと知らないうちに自分に暗示がかかります。言霊の力を軽くみてはいけません。

そして、理想のイメージを常に意識して過ごしましょう。

その積み重ねが、数年後のあなたの美しさに繋がっていきます。


僕はセラピストやってまして最近このような相談をよく受けるので、こんな感じの話をしています。

ここは結構若い人が見てると思うので、同じような人いるかもと思って書いてみました。


長くなっちゃったけど、うるさく思わないでね。


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