環境問題を真剣に考えて未来を憂う若者は
大人たちから真剣さを疑われている。
どこかの国のオジサンがテレビで言っていたことを引用する。
「先生に教室のエアコンを切るようにいってくれ」
「登下校は歩きか自転車にしよう」
「電子機器は使わず本を読もう」
「ファーストフードばかりではだめだ、自分で弁当をつくろう」
これらは、そういわれてみると確かに なるほど…と思う。
だが、大人がつくった環境次第で、子供たちは生活せざるをえない。
エアコンは、環境が悪化しているために義務化されたともいえる。
登下校の送り迎えは、治安が悪化しているともいえるし、親の世代にはすでに登下校の環境が
悪かった、つまり勧誘やら変質者や、突然げんこつをしてくるオッサンなどで危険がいっぱいになっていた。
電子機器を使わず本を読みたくても、大人が本を読まなくなったために売れず本屋が近くに無い。
弁当を作れと言われても、お仕着せのユニフォームだけでなく、与えてくるという給食などで作る機会もない。
すべて親の世代から原因がはじまっていることが多く、その結果を受け入れざるをえない子供たちに、
お前らがこうだからデモなんか説得力ないといっても、かわいそうだなと。
生活していくのに、人というのは、こうあらねばならない、こうしていかなければならない そういう
修身の教育がされなくなってきてからが おおもとの原因ではないかと私は疑っている。
環境問題は、そこから改めていく必要があるかもしれないので、真剣に取り組みたい人は、
原因をつきつめていき、文系として原因を探り、改革の道筋を明らかにしていけばいい。
若者はデモと並行して、そうやって実践すればいい。