現代の日本は 非常に 融通の利かない国になったと思う人が多いのではないだろうか。
多くのサービスを受けるときに感じることは そのぐらいは 臨機応変に 対応してほしい…。
そう思うことも 「それは私の判断では どうにもできない」 と そっけなく断られてしまう。
それは 個人が歯車として 組織の一員として働いているために起きることで
いかんともしがたい 部分がある。
昔はよかった と思う高齢者の多くは こういったことを思っているふしがある。
つまり 個人ができることが 昔は大きく 一人一人の権限が (根拠がなくても)大きかった。
裁量が認められていたのは 個人の能力が 高かった部分もあるかもしれず
実は それだけ 決まり事がおろそかになっていた 可能性もある。
過去に多くの事件や大問題が発生したことを考えると 後者の部分が大きな要因かもしれない。
つまり 決まり事を疎かにしない 世界の共通認識を堅持する ということに 重きを置いていくと
かえって生活しにくく 自由度が減る社会が出現する。
それは 災害や戦争における 臨機応変な対応ができない社会ということでもある。
また 個人の能力が高くなれば 裁量権が認められる結果になっていることにも注目すべきだろう。
まずは 共通認識をえてそれを堅持するという 国際秩序(集団安全保障) を実行することと
国の裁量権を確保し自由を維持するために 国の能力を底上げする必要がある。
国の能力の底上げは 主権者の能力の底上げということ。
つまり民百姓の一人一人が能力をあげる。
一、共通認識の各自の確認
二、主権者(国民構成員)の理解と能力の底上げ
三、集団安全保障の実施
四、勢力均衡を配慮し干渉の手段を削減する話し合い
五、搾取の理由と原因である干渉の放棄を目標にする
六、自立した国内経済