市井では 人の噂というものが目に付きます。
その人が聞こえない場所に行くと 噂話が始まったりするのです。
噂には 良い内容の噂もあるでしょうが、 ほとんどの場合 誰かを否定するための陰口です。
陰口と言うのは 民衆にとっては 武器であり 世論を形成していく手段になっています。
また 懲罰的だったり 矯正(だれかの間違いを正すため)だったりしますが、ほぼ感情に基づいています。
ひろく公論に決すべし という言葉がありますが、 密かに悪意を共感して自分の目的を達成するという
陰口の伝播は 民衆が得意とするところで 如何に民衆の本質と 民主主義が相いれないかが
想像できるというものです。
噂と言うものは 止めさせることができません。 できるとすれば、 それは民衆を支配する者が
命令という形で行わなくてはならないのですが、 それができている当たり、 まさに日本の社会のあり様が
よくわかるというものです。
なので 今回はあえて 陰口を叩くルールを はっきりさせておくべきだと思い 記事を書きます。
ルールを示して置けば 陰口の拡大という現代日本の現状が示す 非民主主義的な様相のなかにも
いくつかの決まりを設けることで 手続きを踏んでいるということ自体が 近代的な社会に近づくことが
可能だからです。 これは 他の社会、他の時代に対しての 言い訳にもなりますし、
民衆が 将来 多くの理由で しっぺ返しを受ける際の 免責にもなるでしょう。
否定するための陰口を叩く というのは いくつかのリスクがあります。
それは 否定するという持論が 一般に受け入れられない場合があること だったり
否定するという他人を貶める行為は 反感を蓄積させ あなたにも いつか却ってくるというものです。
なので 陰口を叩く前に 自然法というか 万人に共通する認識を得る必要性と
人格否定の内容の陰口を 徹底的に避ける必要があります。
ただ、 共通認識というか 一般常識に関しては ほとんどの民衆に これを身に着けさせることは
不可能で、
ただただ、 人格否定の内容の陰口だけは 叩かないこと を まずは第一に気を付けるべきでしょう。
陰口と言うものは 先ほども書いた通り 間接的な 懲罰 や 矯正 を目的としているようなので、
やはり 適正な 基準というものも 必要になってきます。
必要最小限の陰口に抑える努力をする。(消極原則)
事実や事実と思しき事項と比較して適当な度合いの陰口にする(比例原則)
同じ事実の案件であるなら人それぞれ異なる対応をしない(平等原則)
そもそも、 事実認識 が可能なのかは 当事者でさえも困難であるので
ほぼほぼ陰口を叩くことになると、 その部分で間違いが生じて
必ず 何らかの 因果応報による バツがくだるものだが、 最低でも このぐらいの覚悟ができている
民衆で 赤信号みんなで渡れば怖くないとでもいった 気持ちでいるようだ。
必ず 民主主義の理想とされてきた 基本的人権は このままいくと、 民衆からは はく奪されるので
このぐらい 教示しておくべきだと思い 今回 書き残しておくことにしました。。