結論から言うと バカを減らす努力をしてきた結果、天才が減ったので バカに寛容になれという。

 

バカは天才と言う財産を生み出す費用だと考えてもらいたい。

 

いろんな経済活動とか 人の頭で考えることの多くは 何をやっても 行ってこいになることが多い。

 

それは 質量保存の法則のようなもので、 ゼロサムゲームとも表現されています。

 

だからこそ 付加価値創造とか イノベーションとか 学者や偉い人たちが盛んに言っています。

 

価値を創造するというのは、 ゼロサムゲームの中では非常に大変なことで 困難が伴います。

 

ほぼ日常的に 常識のある人たちは 学んだことや経験した範囲 社会的に許される範囲で

 

物事を思考し 解答を導き出します。

 

しかし 例外がいます。

 

それは バカと天才です。

 

両者とも 学んだことや経験した範囲 また内心において 社会的に許される範囲 これらを

 

越えた バカなりの 天才なりの 新たな範囲で 物事を思考します。

 

すると 新しい 解答が導き出されます。

 

こういったことで 新たな価値の創造や イノベーションが 起こりえると思うのです。

 

しかるに 現代社会は バカを徹底的に潰してきました。

 

こういったブログをみて、 「たいしたこと書いてない」 とか 「人と違うこと言えば良いと思ってる雑魚が」

 

とう 思う人が多いのでしょうが、

 

それは たとえ 私のブログが バカの範疇でも 天才も同じような行為に及んでいる限り

 

天才を生み出す費用を惜しんでいるということになります。

 

本来 社会が徹底的に潰したかったのは わがままなバカ とか 時には

 

わがままな天才 も  潰す必要があるからだと思われます。

 

わがまま というのは えてして人のいう事をきかないもので、

 

バカも天才も わがままだと 常識というルールを逸脱して 役に立たない価値しか生み出さなかったり、

 

わがままで人のいう事をきかないだけに、 努力を怠り 何も生み出さない バカや天才になるから。

 

結局、 そういうことを改めて反省し、

 

わがままを矯正すべきで バカも天才も矯正すべきではないでしょう。

 

付加価値創造や イノベーションを生み出す 源泉である バカと天才は 国の宝です。

 

つまり国力の源泉です。

 

人口が多い国は 極端なバカや天才の量が この日本よりも はるかに 元来多いのですから、

 

ただでさえ限られた バカや天才を 減らしてどうするのでしょう。