孔徳秋水さんのブログはお気に入りで、

 

他にも今回、引用したいものがあるのですが、

 

こちらを引用させていただきます。 私としては長文ですよ。

 

現代人は懲戒権が以前よりも制限されていると思います。

たとえば、教師や親は体罰をすることができません。

なので、同じ目的を達成するためにも、非常に能力と努力が必要とされます。

 

この懲戒権というものは、 かつては 年長者というだけで、持つと思われていたふしがあるのですが、

いかんせん、大人のレベルが一様に下がったこともあるせいなのか、

子どもの教育に関しては、公共機関、教師、親、と限定されているようで、実際、憲法解釈の問題でも、

そのように私は学んでいます。

 

懲戒権も無いのに、実際に、他人を懲らしめてやろうという話は、よくある話で、

マスコミなどに多く見られ、市井でも、非常に多く行われています。

孔徳さんのブログの他の記事には、白鳳関を「なまいきにもザコ国民が横綱相撲をとれなどとほざく」

と書いていらっしゃいますが、そういったところは、まさに懲戒権の無い者の越権行為と言えるでしょう。

 

実は政治家などは、民主主義では、国民全般の懲戒の遡上にあると、考えても良いとおもうのですが、

それは、国民の代表としての権力を自由な委任により行使できるから、という裏付けが政治家にはあります。

 

つまり、懲戒される側と懲戒する側には、多くの場合、なんらかのバランスがとれた状態がある。

 

それを思うと、勝手に懲戒し始めると、懲らしめられた方が、勘違いなのか、相当な態度なのか知らぬが、

実際に偉く感じたり、オマエが言うか、という能書きを垂れたりするんですね。

 

これは、漫才師などの芸能人が、市民のそういった懲戒の対象になっているうちに、

いつの間にか、天下のご意見番になってるような現象というのは、これで説明がつくんです。

 

この勝手に権力者を 不本意に作り出したりしているようなことを、国民はやっているのですが、

まずは、国民は、「懲戒権が無い場合は、人を懲らしめようとは思わず、疑問に感じたら…

…懲戒権を持つものに手続きを踏んで権力を発動すべきと説得する。」と、考えたほうが良いと思います。

 

これは、少し間も置けますし、もう少し落ち着けるでしょう。問題はマスコミさんたちですが…!

 

さて、この世界の調和が、こういったことでもどんどんずれてしまう事がわかったところで、

今回引用したブログについて。

 

この児童ポルノ所持という違反は、確かに私は悪いことだと思います。

さらに悪いのは、撮影をしたり頒布したりする輩がいて、卵とニワトリ、どちらが悪いと言えば、

産むほうに責任があるのが、自然の法則なわけです。

と、これは個人的な意見です。

 

で、問題にしたいのは、この所持という違反に関して、

単純に例を思い浮かべると、「究極のスパムメール」によって児ポが添付メールされてきた時、

あなたは、どうしますか。

 

メールを削除します。おそらく、警察は、児ポを送り付けた者を捜査した時に、あなたへの送信履歴を知り、

あなたのパソコンを調べます。

 

こう考えると、どうしても、あなたは、この送信者を、警察に意思に関係なく告発することになるでしょう。

 

これって、怖くないですか。

意思に関係なく、人を刑事告発せざるを得ない状態。

 

こういった問題が多く考えられる、警察目的規制という立法行為は、非常に慎重に慎重を重ねたうえで、

行わなくてはならないのです。

おそらく、国会で法律を審議した時、慎重に行ったことだと、今までは思っていました。今までは。

 

警察目的規制の立法は、政治的規制の立法(つまり多くは父親の愛情のような利益をもたらす規制)とは

異なり、相当の注意が必要になります。

 

最近の国会の審議時間で、与党が、議院に占める割合から考えて、野党の質問が多いという意見が、

でましたが、当然、議員になるほどの先生なので、消極目的規制(警察)と積極目的規制(政治的)の場合

区別してのご意見をしているんでしょうが、と、しているようなことは、聞こえてきませんね。

 

つまり、慎重に審議しているような人たちでは無いんではないかと、最近、思い始めました。

 

孔徳さんの言うように、選挙は無意味、リコールこそ意味があるという主張もうなづけますね。