私が書くブログも なう も 性格を変えていようと


安寧のために という いくつかあるテーマの 上位テーマに沿ったものです。


誰のために といえば 自分自身と同じ 庶民の幸せのためであって


日本人は 本来の役割を果たすときが来たら 必ず 世界から迫害の憂き目にあうと思っているので


過去および今 迫害されてきた 私自身の経験から 文として マニュアル化しよという


意図もあるのです。


迫害されようと 迫害しようと 結局 収まるところに持っていくには


長所を伸ばす という着眼点が必要だと思っています。


迫害とは 常に 対象者を追い出すことを目的にしています。


どこかにいなくなるか 死ぬまで 苦しめるというものです。


もしくは 別の組織に加わるまで やめることができないのです。


迫害される人は 変わらなくてはならないのですが


変われと言われて どうやって変わることができるというのでしょう。


おそらく 何らかの 無理を自分自身に強いることになり 奇妙になったり


長続きしなかったり 良い結果は 生み出さないものです。


学校や 職場で そういった迫害に遭う人が 多いのですが、


家に帰れば 普段から自宅にいる 主婦や 子供たちの 餌食になります。


さて 最近 ニュースで 職場でのイジメでイライラしていたら


家族と口論になり 家族を刺して 3人も殺してしまった人がいます。


また 過去の事件では 近所の子供に なにか言われて カッとなって 小学校に殴り込みをかけた

という事件もありました。


そういう時には なにか避ける別の方法が 無かったかと言うと


近所の人に なにか言われてしまったら 多くの人は 仲良くなろうと努力しよう と言うでしょう。


しかし 嫌いだからこそ 迫害している者たちにすれば そのようなことをされても


火に油を注ぐようなものです。


時々 そういったことがきっかけで こちらからすり寄り 子供と仲良くなる者もいます。


ですが 高校生にもなると そのような方法をとると 同じレベルの人間から


同じ土俵で 扱ってもらえなくなることを覚悟しなくてはなりません。


将来 迫害が収まり いざ 進んでいこう と言う時には 大変な弊害になり


結局 追い出されるのと同じように その場を立ち去らなくてはならないのです。


それは 事実 実際に 見たことなのです。


長所を 伸ばし 将来の飛翔を心に誓うのなら 潮目が変わるのを待つに近いことをしなくてはなりません。


営業のスキルの一つに 「営業しない営業」 というものがあると 熟年の広告マンに


若かりし頃 教わりました。


完全アウェーで 能力の足りない 営業マンでないと このようなものは使う必要もないのだそうですが、


言葉に語弊が持たれやすく 微妙な感覚で この技術を使わなくてはならないもののようです。


現代社会では 村八分(葬式と火事以外は完全無視) と そこまでは あり得ませんが、


ガン無視 という 失礼ではない程度の 涼しさが 武器になるように 努力したほうが ましだと思われます。




…若いころは 自然と そのようなこともできたのですが、 年齢を重ねてきたら それをやりたくても 精神的につらいものはあります…。