面白くて 勉強になるブログを書いている人が


しきりに 日本人をくそみそに言っていて 日本人はサルだ 家畜だと


書いている。


内容は 本当に納得できるので うんそうだ と 思いたいのだが、


日本人が なぜ動物だと そんなに 劣等種として 描かれるのか


その背景を考えてみた。


すると 日本人は 本来は 家畜などに例えられるようなものでは 無いことがわかる。


まず どこが動物なのか はっきりと納得できる側面 背景を明らかにすると、


みなさんに想像してほしいのが、


我々 日本人の大多数を占める 庶民は 他人に関心を持つとき


どのような 動機でいるのだろう。


否定しようがしまいが 庶民は 人への関心は 結果的に


ゴシップや ルーモアという噂話の ネタを 採集するため だったり


好き嫌いという 好奇心で 人の行動を ハウンティングしたり


そういった 動物的本能で 他人に関心を向ける。


対極にある 仁義とか 困っている人を助けるため という 大義と


しまいには 混同し


本当に 人に関心を持たなくてはならないときに 良い人も悪い人も


手を差し伸べることができなくなっている。


そして 庶民は 嫌いな人を 用もなく よけに嫌いになり 天下の安寧を乱す。


こうした側面は 背景として テレビや インターネットの 大手メディアが


ミスリードしている部分があり


この部分では 活字中心の文化だったころよりも ひどくなっていることからもうかがえる。


もともと こういった庶民の側面は 過去の日本人が 禁忌としていたものなので


本来は 略すと 日本人は 動物ではなかったといえる。


(このように ミスリードされている庶民を 快く思うのは


民主主義において 猿回しの猿 よろしく コントロールしやすくするためであろうか。


まさに 現代の支配者が 猿回しという芸人レベル という証拠でもある。)