どんな発展途上国でも 先進国でも いじめというものは あるようだ。


人の話を聞いたり 見聞きしたことから 言わせてもらうと


阿鼻叫喚の世界になった国のほかは だいたい どんな国も


いじめ というものに対しては 必ず 精算というものをしている。


パキスタンでも そういった歴史はあるし


アメリカのような 先進国でも 同様にあり


そして 現代でも 他の多くの国は そのように 因果応報というもののバランスは


保たれている。


たとえば 恋愛の成就なども 一部には 結局 行き過ぎた制裁への精算だったりする


ものもあり そういうことを 考えると 何も 良い思いはできない という


ヤクザな話も あったりする。 一面でしかなく 一部でしかないというはなし。


日本は どうかと言えば、 そのように対処しているようでもあり


精算をする必要を無くすまで 人格を否定し 挙句の果てには 犯罪者にしたりという


話も 今までに 何度も あったようだ。


こうした状況というのは 最初に書いた通り 因果応報の バランスが崩れた地域というのは


たいてい 時代を経ると 阿鼻叫喚の 土地柄になっている。


因果応報というのは 何も 口でつじつまを合わせれば済むという話でもない。


というのは 人は 主に 人や 企業を つぶす行為をするとき 口でする。 が、


その 口でした 非難が 適正かどうか は 行動でしか 測れない。


相手の行動が 正しいか こちらの行動が 正しいか で その非難が的を得たものかが 測られる。


さて 最近 確かに マクドナルドという 企業が 不祥事を起こした。


人々は 一斉に 非難をし ある意味 不買運動のような 形にもなった。


それは 常日頃 マクドナルドの製品が 健康に悪いのではないか という


確信をもっていた矢先のことである。


しかし マクドナルドは 本当に 正しくない行動を 続けていたのだろうか。


そう 考えていない として ひょっとして 本当に 正しい行動をしていたのだとして


マクドナルドは 納得いかない気持ちを積み上げたうえで 謝罪し より健全になろうとしている…。 (としよう。)


しかし 我々消費者は マクドナルドの不正に 納得がいかず この企業を潰すような言動をしている。


おたがい 納得いかない分だけ 世の中というのは 相手に不利益を与える仕組みなっている。


これが 因果応報というものの 基本的な仕組みだろう。


だとして 我々は マクドナルドが 納得いかない分だけの 不利益を どこでこうむっているだろう。


… 何も 精算せよ と 考える人はいない。


つまり マクドナルドは 世界的な窮地に立たされた今、 消費者は その因果応報を


受けなくてはならないことに なっている。


正しい か どうか というのは、 その時代によって 変わる種類のものではない。


そういう種類の正しいもあるだろうが、 因果応報の原理に基づく 正しさは


道理 というもので、 正しい行動 というものが 確かに存在する。


それゆえに ひょっとしたら 消費者の正しいという観念を超えたところで


正しい 行動を している者 企業 に 神や仏は 決して裏切らない。



なお それが 支配者と 庶民の 違いでもあると 私は思う。