地球上の生き物が どうやって進化してきたかを思うと
ちょっと興味深いことが わかる。
今 我々は 手足を持っているんだけど その手足を獲得した 最初の生き物は
肉食のいない場所 川岸の木々がおちた うっそうとしたところをかき分なくてはならない
場所へと 逃げてきた その結果だった。
そして さかのぼると 川の魚は 当時 海で繁栄していた 肉食の鎧を付けた魚たちから
逃げてきた 弱者の魚だった。 その弱者は 酸欠になりやすい川で 肺を獲得する者も現れた。
全て逃げてきた結果 動物は進化した。
哺乳類も 空気の成分や 肉食から身を守るために 妊娠したし
逃げたもの勝ちの進化だった。
人間社会に至っても 日本では 海岸から追い出されたような 山の地域に住む人や
寒い地域の出身者に 努力家や しっかり者が多いのは 気のせいなのか。
いずれにしても 成功者の多い 東京という地域こそ 出身地から逃げてきたものだらけだ。
日本に 遠くの国から 地域から来た成功者を ひがみなのか 心根が違って見えるのか、
差別待遇する風潮がみられるが、 日本で生活し同じ言葉を話す限り
日本の向上に貢献しているものたちで そういった異質を取り込みながら 日本を
新たにしなくてはならない。 日々新たに と 侍の教科書 大学にもある。
逃げることは 卑怯という考えもあるが 争いを避け 新天地で 新たに
その経験をふまえて 適応する努力。
僕自身は 自由貿易を 見境もなく行おうとする これから各国政府が行おうとする
政策は反対なのだけど、 実際に そういう流れになったとして
日本は 異質を 異質のまま 受け入れる 度量が 必要だと思われる。
ただ どの国も 言葉というものを 芯柱にしなくては 失敗しているが…。
異質を 異質のまま受け入れる というのは 日本の歴史の中で どのように行われているかというと、
鮨(すし) というものの 発生がどのようだったかを 思い起こしてもらいたい。
日本は 室町時代から戦国にかけて ものすごい経済発展をしたんだけど、
それは 戦国大名が 城下町を発展させたり 人の往来が 全国的なものになり始めた
その始まりだったから。
各都市 城下町や 港町には それぞれ気候風土を生かした 農産物が できたんだけど、
以前よりも 各都市の交易が 少しでも活発になると 農産物どうしを組み合わせた
二次加工品 三次加工品 というのができて 新しい交易品になり さらに交易が活発する。
その二次加工品 こうじ と さかな で 鮨ができた。
自由貿易が活発になれば 交易地 両地点で そういったものができるので
日本人の得意分野として ある意味 利点がここにもあるにはあるな…と。
だからといって けっしてこういう利点というのは 金目だけでなくて
なにかと なにかを結ぶもの は 人の移動やら 何かを避ける 逃げるという動機にも通じるものがある。
被災して
逃げることは悪いことじゃない。 将来の 勝ちに 必ず通じる戦略だと 思えるのです。
最後に 金目で思い出したけど、 損害賠償というのは 法律で 金で解決しろって 決まってることが多くて、
この法律が 取得時効やら消滅時効という ほっといたら 人の物が自分の物になるっていうのもあるんだけど、
それも 金でつながっていないと そういう不味いことが発生するような 仕組みになっているので
法律家である政治家が、 庶民に対して 金が結局ものをいうんでしょ というのは 変な感じだと思った。
ちょっと興味深いことが わかる。
今 我々は 手足を持っているんだけど その手足を獲得した 最初の生き物は
肉食のいない場所 川岸の木々がおちた うっそうとしたところをかき分なくてはならない
場所へと 逃げてきた その結果だった。
そして さかのぼると 川の魚は 当時 海で繁栄していた 肉食の鎧を付けた魚たちから
逃げてきた 弱者の魚だった。 その弱者は 酸欠になりやすい川で 肺を獲得する者も現れた。
全て逃げてきた結果 動物は進化した。
哺乳類も 空気の成分や 肉食から身を守るために 妊娠したし
逃げたもの勝ちの進化だった。
人間社会に至っても 日本では 海岸から追い出されたような 山の地域に住む人や
寒い地域の出身者に 努力家や しっかり者が多いのは 気のせいなのか。
いずれにしても 成功者の多い 東京という地域こそ 出身地から逃げてきたものだらけだ。
日本に 遠くの国から 地域から来た成功者を ひがみなのか 心根が違って見えるのか、
差別待遇する風潮がみられるが、 日本で生活し同じ言葉を話す限り
日本の向上に貢献しているものたちで そういった異質を取り込みながら 日本を
新たにしなくてはならない。 日々新たに と 侍の教科書 大学にもある。
逃げることは 卑怯という考えもあるが 争いを避け 新天地で 新たに
その経験をふまえて 適応する努力。
僕自身は 自由貿易を 見境もなく行おうとする これから各国政府が行おうとする
政策は反対なのだけど、 実際に そういう流れになったとして
日本は 異質を 異質のまま 受け入れる 度量が 必要だと思われる。
ただ どの国も 言葉というものを 芯柱にしなくては 失敗しているが…。
異質を 異質のまま受け入れる というのは 日本の歴史の中で どのように行われているかというと、
鮨(すし) というものの 発生がどのようだったかを 思い起こしてもらいたい。
日本は 室町時代から戦国にかけて ものすごい経済発展をしたんだけど、
それは 戦国大名が 城下町を発展させたり 人の往来が 全国的なものになり始めた
その始まりだったから。
各都市 城下町や 港町には それぞれ気候風土を生かした 農産物が できたんだけど、
以前よりも 各都市の交易が 少しでも活発になると 農産物どうしを組み合わせた
二次加工品 三次加工品 というのができて 新しい交易品になり さらに交易が活発する。
その二次加工品 こうじ と さかな で 鮨ができた。
自由貿易が活発になれば 交易地 両地点で そういったものができるので
日本人の得意分野として ある意味 利点がここにもあるにはあるな…と。
だからといって けっしてこういう利点というのは 金目だけでなくて
なにかと なにかを結ぶもの は 人の移動やら 何かを避ける 逃げるという動機にも通じるものがある。
被災して
逃げることは悪いことじゃない。 将来の 勝ちに 必ず通じる戦略だと 思えるのです。
最後に 金目で思い出したけど、 損害賠償というのは 法律で 金で解決しろって 決まってることが多くて、
この法律が 取得時効やら消滅時効という ほっといたら 人の物が自分の物になるっていうのもあるんだけど、
それも 金でつながっていないと そういう不味いことが発生するような 仕組みになっているので
法律家である政治家が、 庶民に対して 金が結局ものをいうんでしょ というのは 変な感じだと思った。