人間の味覚は 中国人の6とう味 といって 最大6つあるそうだ。
辛い 甘い すっぱい しょっぱい のほか うまみ などもあるだろう。
細かくわけたら しぶみ などもあるのですが、
中国人が とにかく 味覚がもっとも優れていて そういうことから
餃子の王将などで 中国人の調理人が作ると おなじレシピでも まったく別格のうまさになるそうだ。
味覚は 同じ人間であっても その日の体調によって違う。
人間は 社会にいると たくさんのことを感じて 生きていかなくてはならない。
人と人は 共感して この世界を生きていると思うが、 その接着剤として 笑い というのがある。
笑い の 目的や 感じ方にも いろいろあるんだろうけど、 大きく分けて
世の中にある笑いの 目的には 二つあるといわれている。
実際には 生活をしていると その二つ以上のものを感じなくては説明がつかないんだけど、
記事をすすめるためにも 二つということにしておく。
きちんと笑いについて研究したい方はこちら↓ 僕はかなりデフォルメしてます。
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共感のための笑い と 社会的懲罰のための笑い だ。
感覚が麻痺すると この二つや それ以外の目的の笑いに対して 別の目的を感じたりする。
人間がまだ 言葉が未発達な時代に 群れでうまくやっていくためだったり
群れから追い出すために この笑い というコミュニケーションが多用されていたと 考えられている。
現代の日本社会では リンチ つまり 私刑は いちおう禁止されている。
しかし 現実には 子供のころから リンチは横行している。
いじめ問題などが取りざたされて 今年 いじめ防止法なるものが つくられたけど、
この 笑い のことを考慮に入れないと いじめは終わらない。
暴力や 言葉の いじめが 仮に 法律やら制度で 防止や対処できたとしても、
この日本には特に 同調圧力の方法として 笑い という方法がとられ 支配者の道具としても使われている。
支配者の道具として使われる笑いは 時として 心に浮かんだことさえも 笑いの対象になりうる。
こっけいでも なく 自虐でもない 行為を 笑いという 懲罰によって 殺されるのだ。
お分かりになったと思うが、 いじめ防止法は なんら問題解決をしていない。
そもそも いじめというよりも 笑い という懲罰は 個人の排斥 あるいは 矯正のために
行われていると 考えられている。
しかしながら、 脈絡のない 笑いの多くは 罪状説明も 矯正の目的も 示されていない。
いじめる側の多くは 言葉で言ってもわからないから そのようにする というが、
まず そのことを いじめ防止の定義に加えるべきだろう。
言葉で説明して 矯正の目的を 相手にわからせることが とても大切なこと。
そして 言う必要もない とにかく排斥したい という懲罰は 法律で対処する場合と同様に
これを防止するしかない。
笑い による懲罰は 私形の禁止に違反する 立派な法律違反だけど、立証が難しい。
これからも いじめ防止の議論を 法律ができても なお続けなくてはならないだろう。