安寧のために のテーマのブログとして 今回は個人のレベルの話です。


僕には 以前 お酒が飲めた頃に 飲み友達というのがいました。


ですが、 飲めなくなる以前に こちらから ご縁を 遠のかせていただいた。


自分の世界を狭くしているのは わかっているし 友達は減っていくのですが、


若いころから 思っているのは 良くないご縁だなと思ったら 嫌われたり


孤独に一時的になっても 距離をだいぶとったほうが まだましだと。


特に 最近 いろいろまた思うことがあって その気持ちが強くなりました。


縁なき衆生はどしがたし とはお釈迦様の言葉ですが、


そんな高尚な意味でなくても 縁があっても 無理をすればさらに 悪いほうにしかいかない


縁はある。


たとえば、暴力事件が起きたら その夫婦は 遠ざけることもあるだろうし、


半径何メートル以内に 近づかせなかったり。


本人に聞こえるように 悪口や罵詈なども なんらかの世の中の対処が必要だろうし。


それとは別に、陰口というのがある。


実は 飲み友達と別れたのは 飲んでも 陰口しか話さない 嫌な奴になってきたので…。


さて


陰口を言う者 と それを聞く者 と その場から立ち去る者。


陰口の場には この三パターンがあると思う。


陰口を作り出しているのは前の二つの者。


聞く者にはさらに二つに分かれ、

喜んで聞く者 と 言う者とコミュニケーションをとろうとする者。


だいたい、コミュニケーションというのは 相手の意図をくみ、

どちらかが意図を変える結果になる。


陰口を多くする人っていうのは もともと、

人と話しても、考えをより改善するようなことの無い、

若しくは初めから自分本位という

コミュニケーションスキルが実際には低い人間。


だから 聞く者は、いずれにしても 喜んで陰口の場を盛り上げていることになる。


自分本位のその考えが 正しかろうが 間違っていようが、

こういう場合

結局


場所そのものを地獄にする結果になるから


悪口やら 陰口を たたくような人からは 距離を置くしか 途は無い。


こうしたことは、ネットでも世間でも同じ。


その場から離れることは、一時的に孤独にもなるが、


その場所に誠意をもって存在し続ければ、いつかは途が拓けるのではないか。


そういう意味で すごいな と思う人は 政治家にも 会社員にも 男も女も


時々見受けられるので まだまだ日本も 捨てたもんじゃないなと思う。


それができない 第二次世界大戦直前の状況を 作り出さないことを 微力ながらシコシコ頑張りたい。