この国を 政治とかで変えたい人に 話しがあります。
もし 政治家になろうとする人が、 民衆を信じて
民衆の力を借りることをしないで なんとかしようとしているとしたら
僕は その候補を信じません。
しかし、 日本の民衆は 実は 民主主義の中では 最低の民度の国民だとも 思っています。
イベントのあとに ごみを拾う というのが 民度が高い とか ふざけんな と思います。
今まで 民衆が マスコミに煽られたにせよ 何度 この国の 不正や ありかた
矛盾などに 怒りをあらわにし 口にしてきたことでしょうか。
ですが、 それらの抗議の数々は なんの 根本的解決もされないまま
ほとんどの人たちの口のはに 今もって上がることはありません。
僕たちは 政治と行かないでも 普通の生活のなかで 今まで
たくさんの 学校にしても 不満というものは あったと思います。
だけど 先生や 社長や リーダーたちの示す 解決策など ほんとに一つだってありましたか?
たぶん みなさんが示されたのは 解決策ではなく 懐柔策。
この問題は 残ったままだけど けっこう気楽に生活できるようなことを してくれたから
「まぁいいか」 で終わったこと ありますよね。
もしかしたら、 懐柔もされずに 他の人が 「まぁいいか」 というから
「まぁいいか」 に終わることも ありますよね。
政治に話を戻すと この国は 国民に「まぁいいか」 で終わらせるために
問題の核心をついた 法律を作ろうともせず アメを 国民にわたして
国民も アメを もらえたから このへんにしといてやる という感じです。
正直 民主主義など 機能しないのです。
それは アメをもらうことが 権利と 思っている節があるのですが、
それは ヨーロッパの人たちが 先祖代々つくりあげてきた 権利 というものではなく
奴隷 と 支配者 の間にある 貨幣のようなものが アメなのです。
しかし この国では アメを拒否すると アメをもらった国民と 支配者が結託し
奴隷ではない 市民に ムチを 与えます。 評判を落としたりされることもあるので
市民が あたかも奴隷のようになってしまうのが この国の現状です。
この 権利を 大事にしない 国民がいる この国を変えるには
アメ と ムチ に よるしかない と 政治家が思ったら
それこそ 問題の核心を 変える立法をもって 政治家の理想をかなえることなど
できません。
しかし もし 本当に 問題の核心を変えて 本当に 国民の利益になることを
民主主義を機能させて なしとげる政治家が いるとしたら
その人間こそ この国に 明治維新以来 出現しなかった 政治的英雄と なることは
まちがいないでしょう。
多くの人の 理想 や たくさんの人の 悪事 などは 本当は
政治的には どうでもよいのです。
それは 本当に 主権者である国民の選択の結果によるものであるなら です。
だから、 人の意見が違う 主義主張が違う という理由で
右も左も 攻撃し合うのは
ある程度を超えると アメ と ムチ の世界から抜け出していないとも 見える。
ワイマール憲法 のもと 民主的に ヒトラーは独裁者になったと言いましても
国民が主権者であり続けたら あのようなことには ならなかったはずで、
国会を取り囲んだり 厳正な 話し合いの場に 騒音と恫喝を持ち込み
機能させ無くしたり…。
けっして民主的に国民の同意を取り付けたとは言えないのに、
理想的民主主義など 幻想にすぎない というのは
論点を 中抜きしている おかしな話。
つまり 民主主義を機能させるために 理想を強化すべきなのです。
理想もなしに この国を変えたい人は いないと思いますので このようなお話をさせていただきました。
もし 政治家になろうとする人が、 民衆を信じて
民衆の力を借りることをしないで なんとかしようとしているとしたら
僕は その候補を信じません。
しかし、 日本の民衆は 実は 民主主義の中では 最低の民度の国民だとも 思っています。
イベントのあとに ごみを拾う というのが 民度が高い とか ふざけんな と思います。
今まで 民衆が マスコミに煽られたにせよ 何度 この国の 不正や ありかた
矛盾などに 怒りをあらわにし 口にしてきたことでしょうか。
ですが、 それらの抗議の数々は なんの 根本的解決もされないまま
ほとんどの人たちの口のはに 今もって上がることはありません。
僕たちは 政治と行かないでも 普通の生活のなかで 今まで
たくさんの 学校にしても 不満というものは あったと思います。
だけど 先生や 社長や リーダーたちの示す 解決策など ほんとに一つだってありましたか?
たぶん みなさんが示されたのは 解決策ではなく 懐柔策。
この問題は 残ったままだけど けっこう気楽に生活できるようなことを してくれたから
「まぁいいか」 で終わったこと ありますよね。
もしかしたら、 懐柔もされずに 他の人が 「まぁいいか」 というから
「まぁいいか」 に終わることも ありますよね。
政治に話を戻すと この国は 国民に「まぁいいか」 で終わらせるために
問題の核心をついた 法律を作ろうともせず アメを 国民にわたして
国民も アメを もらえたから このへんにしといてやる という感じです。
正直 民主主義など 機能しないのです。
それは アメをもらうことが 権利と 思っている節があるのですが、
それは ヨーロッパの人たちが 先祖代々つくりあげてきた 権利 というものではなく
奴隷 と 支配者 の間にある 貨幣のようなものが アメなのです。
しかし この国では アメを拒否すると アメをもらった国民と 支配者が結託し
奴隷ではない 市民に ムチを 与えます。 評判を落としたりされることもあるので
市民が あたかも奴隷のようになってしまうのが この国の現状です。
この 権利を 大事にしない 国民がいる この国を変えるには
アメ と ムチ に よるしかない と 政治家が思ったら
それこそ 問題の核心を 変える立法をもって 政治家の理想をかなえることなど
できません。
しかし もし 本当に 問題の核心を変えて 本当に 国民の利益になることを
民主主義を機能させて なしとげる政治家が いるとしたら
その人間こそ この国に 明治維新以来 出現しなかった 政治的英雄と なることは
まちがいないでしょう。
多くの人の 理想 や たくさんの人の 悪事 などは 本当は
政治的には どうでもよいのです。
それは 本当に 主権者である国民の選択の結果によるものであるなら です。
だから、 人の意見が違う 主義主張が違う という理由で
右も左も 攻撃し合うのは
ある程度を超えると アメ と ムチ の世界から抜け出していないとも 見える。
ワイマール憲法 のもと 民主的に ヒトラーは独裁者になったと言いましても
国民が主権者であり続けたら あのようなことには ならなかったはずで、
国会を取り囲んだり 厳正な 話し合いの場に 騒音と恫喝を持ち込み
機能させ無くしたり…。
けっして民主的に国民の同意を取り付けたとは言えないのに、
理想的民主主義など 幻想にすぎない というのは
論点を 中抜きしている おかしな話。
つまり 民主主義を機能させるために 理想を強化すべきなのです。
理想もなしに この国を変えたい人は いないと思いますので このようなお話をさせていただきました。