下司と言われて 喜ぶ人種もいる。

なぜなら 下司とは 下々を管理する役人で

ある意味 下々を支配する側に認められたからだ。

古来の役職のなまえ。 下種(ゲス)は この下司の蔑称とも言われている。


諸外国にも言えることだけど、 日本の下司というか

ある意味 自分自身は 誰かよりも強い存在だと思いたがる 多くの日本人は

集団で 個人をつぶす。 夢を聞いては ぶっ潰すというやり口は

多くの企業でも行われている。


すべてを 下々の いや 民衆の 責任にする。

それは だれか一人の人に責任をおしつけることが多い日本では 当然のごとし。

どんなに正しいことをしようと その人を責める。

そうすれば 民衆は 委縮し 日本人は委縮して

物事を道理を定めて 教え込まれなかった 自由人である 日本人は

正しいことはなんなのか  わからず  一貫性を失う。


そんな中 日本人は 新手の手口に遭う。

狭い歩道を 向こうから 妊婦が子供をかかえて 何列にもなって

さも どけどけ と 歩いてくる。

弱者 ということで ふりかざして 道を譲ろうともしない。

他の人は言うかもしれない。 どやしつけろ! そう。

日本人は 弱くなり過ぎた。 なんども 何度も 言ったことがある。

しかし 彼らは 殴られないのをいいことに 毎回毎回 こちらが後退するまで

突き進む。

屈辱の日々。 そう思う日本人。


しかし よく見ると その妊婦は 同じ日本人であるかもしれない。

決して 海外の人たちではない。


ひとりひとりが 譲り合えば 国は 平和に 安心して暮らせるようになると

孔子は そんなようなことを言った。


僕たち 日本人は 弱くなって 横暴にさらされても 向こうが殴らない限り

殴ったりしないし むこうが どやしつけてきたら 無視してはいけないのだろう。


強い心と 体力を 身に着けるために

毎日仕事をしながら、 少しずつ身を修める努力を しよう。