以前 書いたブログ記事
道徳教育をするなら注文があります
の続きです。
体罰はだめ とか言うと、 昭和世代の僕は
どうやって 先生は 統率をとっているんだろう と疑問に思ったりします。
大人の世界では 昔から体罰の代わりに 懲役だったり そういう責任があります。
また もう少し軽いものだと、 降格だとか 減給だとか そういうものです。
だから 子どもの世界にも 落第とか 評価を落とすとか そういうやり方もあるでしょう。
ですが、 落第(退学も含めて)は 今のところ 子供の将来を 台無しにする と
却下されます。
実は レールからそれたら 一生這い上がれないことを 暗に示していて
もっと厳しいことで まだ 体罰のほうがいい という処分が
学校では数多く下されてきました。
体罰も 処分も 否定していくと 大人の説得 というところで
先生の力量が 当然試されるのですが、 その説得も
思想の押し付けだとか 各家庭の教育方針にあわないということで
統一されたものがありません。
行き過ぎた勢力が 道徳を 先天的にある真実からかけ離れたものに してしまうことを
僕は前のブログで 恐れる と 書いたつもりです。
ですが、 あえて 時々ブログでは 論語とか使ってほしいとか 書いたりしました。
なので、 道徳自体は それぞれの各家庭が 何らかのコミュニティに入っているので
そこで 毎朝身に着けたり 日々の家庭活動で 徹底してやってもらうしか
ないのかと 思うのです。
たとえば、 宗教とか。
宗教で よくないなと 個人的に思うのは 勧誘なのですが、
毎朝 大きな声で 学校のみんなと 十分くらい お題目でも大きな声で
唱えさせれば 英語の発音が恥ずかしくて 授業がすすまないなんてこともなく、
特定の思想を植え付けるでもなく、 授業中に動き回ることのない落着きもみにつき
いい方法ではないかと 思うのです。
ですが、 十分間 大声で 同じ言葉を唱和し続けることさえも
子どものたちは できない子がいるので、
やっぱり 処分や ある程度の体罰は 小さな子供には必要ではないかと
教育の素人で 昭和世代の おじさんは 思っています。
だましだまし、 そのくらいなら 難なくやらせることができるのなら、
やはり 教育者は プロだなっと 思います。
道徳教育をするなら注文があります
の続きです。
体罰はだめ とか言うと、 昭和世代の僕は
どうやって 先生は 統率をとっているんだろう と疑問に思ったりします。
大人の世界では 昔から体罰の代わりに 懲役だったり そういう責任があります。
また もう少し軽いものだと、 降格だとか 減給だとか そういうものです。
だから 子どもの世界にも 落第とか 評価を落とすとか そういうやり方もあるでしょう。
ですが、 落第(退学も含めて)は 今のところ 子供の将来を 台無しにする と
却下されます。
実は レールからそれたら 一生這い上がれないことを 暗に示していて
もっと厳しいことで まだ 体罰のほうがいい という処分が
学校では数多く下されてきました。
体罰も 処分も 否定していくと 大人の説得 というところで
先生の力量が 当然試されるのですが、 その説得も
思想の押し付けだとか 各家庭の教育方針にあわないということで
統一されたものがありません。
行き過ぎた勢力が 道徳を 先天的にある真実からかけ離れたものに してしまうことを
僕は前のブログで 恐れる と 書いたつもりです。
ですが、 あえて 時々ブログでは 論語とか使ってほしいとか 書いたりしました。
なので、 道徳自体は それぞれの各家庭が 何らかのコミュニティに入っているので
そこで 毎朝身に着けたり 日々の家庭活動で 徹底してやってもらうしか
ないのかと 思うのです。
たとえば、 宗教とか。
宗教で よくないなと 個人的に思うのは 勧誘なのですが、
毎朝 大きな声で 学校のみんなと 十分くらい お題目でも大きな声で
唱えさせれば 英語の発音が恥ずかしくて 授業がすすまないなんてこともなく、
特定の思想を植え付けるでもなく、 授業中に動き回ることのない落着きもみにつき
いい方法ではないかと 思うのです。
ですが、 十分間 大声で 同じ言葉を唱和し続けることさえも
子どものたちは できない子がいるので、
やっぱり 処分や ある程度の体罰は 小さな子供には必要ではないかと
教育の素人で 昭和世代の おじさんは 思っています。
だましだまし、 そのくらいなら 難なくやらせることができるのなら、
やはり 教育者は プロだなっと 思います。