統合失調症の大きな症状は 妄想 幻覚。


妄想とは 事実と整合性のとれない 空想のことで、


その妄想に従って 生活を営むようになることで 問題視される。


妄想の問題点は、 事実と異なる根拠での言動により


社会と 本人にとって 非常に有害であることから 精神病といわれる。



一方 幻覚についても 事実と異なる つまり 通常の知覚では感じられない


情報をもとに 行動や思考活動を 営むことが問題とされる。



妄想も 幻覚も 要は


事実と異なること 


これが問題であるが 実際には異なる点がある。


まず 妄想。


事実と異なる 空想 を 実際に社会に訴える 芸術や推理や


歴史問題などの発展的考察。


これらによって 世の中の進歩や 人々の精神を豊かにしてきた歴史がある。



つまり 世の中からの 共感を得たものについては 妄想は 病気のひとつとはされていない。



そして幻覚については これは 多くの人が 感じている 五感以外の知覚情報については


すべて 現在は幻覚とすることができる。



つまり 実際には通常の人々の生活には 妄想も 幻覚も存在する。


では なぜ 統合失調症という くくりで 分類される統合失調症患者が存在するのか。


それは 社会による認定により 人の人格を 分類されているにすぎない。



要は 精神病というのは 社会性の欠如や 非社会的な人格の 特性を持つことを意味するので


妄想や 幻覚 を持っていても 正常な社会生活


社会を構築するのに 必要な 一個人ということであれば、


まったく問題ない。


個人は お互いに認め合って 社会に参加させてもらっているので


その社会に 認められない 個人は 排除されていくのだ。


統合失調症は 周囲が作り出す病で


もし 社会生活に 支障をきたす原因が その人の幻覚や 妄想によるものではなく


単に 個人として 周囲とうまくできない・・・ というのであれば、


その患者は 統合失調症として 分類された 人間であるにすぎない。



性格的な問題。



世の中の不都合な真実を 語るものが 社会の中の多くの場面において


共感されない個人である場合、 その人間は統合失調症として分類される。



仮に 科学において 偉大な発明や 発見をした人間がいたとしよう。


その発見が 現在進行している社会の流れを変え 多くの人たちの不利益をこうむったとしたら、


それは 不都合な真実なのだ。


すべての人が認知しうる 情報であれ、 それは幻覚であるし、


科学であったとしても それは発展的妄想にすぎない。


文学であれ それは 妄想として 科学であれ 幻覚として


その人間は 統合失調症として 分類される。



すこし話をずらす。


すべての人に 同じ態度で 同じように受け答えをする。


すると ひとそれぞれ その受け答えに対する反応が違い


その反応により 会話の世界は 広がったり 閉じたりする。


すると 世界が広がらなかった人間は


嫉妬をしたり 自分を否定されたと


私を憎んだり 広がっている相手もろとも すべてを破壊するだろう。


すると 私は 相手を守るため 自分を守るため


すべての人との世界のつながりを 遠慮しがちになり


破壊と 変革の 人たちの中で


わたしは 無に近くなっていく。


結局 私たちは 相手に合わせて 態度を変えていかなくてはならない。




公になったひとたちは この態度を変えること自体難しいのだが・・・。



しかし、


私たちは 自分が感じたことや 考えたことを 場所を変え 人により


うまく使い分けて


伝達していくことで この世界を変えるしかない。



科学や文学で 世の中の 表舞台から消え去った 不都合な真実を語るものたちは


まだまだ、この世界でなすべきことがあるのではないか。


そう思う。