新訳聖書を一通り読んだ僕の中では、本当に偉大な人は、銅像など名前さえも残さないという、これが大事だと思う。
それは市井の純朴で善良な人というのでなく、平和で神のもとに平等な千年王国を創る人たちは、ヒエラルキーを崩壊させて、新たなヒエラルキーさえも創らずに、秩序と繁栄をもたらすことを意味してるんだと思う。
今までの革命が茶番劇になってきたのは、全て、民草の上に君臨する人が代わっただけで、民草は新しい墓穴を掘るために古い支配者を抹殺したに過ぎない。
そんな聖人君子が何人も同時多発的に沸いて出て、しかも名前も富も求めず、ただ天国に名前を刻まれるためだけに頑張ることなどあるのだろうか。
今はまだわからないが、人を支配せず、人の意見を認めあいながら、誰もが主張をし合意形成をする社会。これを、人類はこれから何百年かかろうが、考えていかなくてはならない。
僕のイメージの一つが、直接民主主義なのだが、飛行機が片翼しか出来上がっていない不完全さを感じる。
そうこうしてる内に、戦後発展してきた間接民主主義さえも後退してしまい。
今、何をすればいいか、これからどう考えればいいか、不安。
人類の叡知を信じて、ブログを綴るのみ。