信頼するということってなんだろうね? | 摂食障がい心の居場所「たちあおい」(^^♪

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2013年10月に埼玉・大宮で、摂食障がいの人の孤独感を無くすための居場所つくりと
摂食障がいを持ちながらも能力を最大限発揮出来る環境つくりを目標に”たちあおい”を始めました。

こんばんは。

今日も、ちょっと重いテーマかな?と思いますが思うことがあったので、心の棚卸しをしようと思い書きます。

最近も、人と自助グループを通して関わりを持つ機会がありますが、人から連絡が来ないだけで「嫌われているかな?」「俺の対応が悪かったのかな?」と考えてしまい「もうダメだ」という思考になってしまいます。

でも、その感情を素直に話すと、全部違う反応が来ます。

最近付き合っている人達はお世辞を言わない人達です。

他人の俺に対しても注意してくれます。

本当に有り難いことです。

俺は高校が通信なので、学生生活は中学校までで、人に対して「信頼」というものを持ちませんでした。

中学校なんて男でも派閥があり、リーダー的な人の顔色を伺っていましたから疲れて疲れて。

これが人間関係だと思ってました。


そして、ここ一年前までも、どんな人にも「信頼」を持っていなかったです。

人は裏切るしメリットが無ければ離れていくものと考えていました。

まぁ~今も全員に対して、「信頼」をしているわけではないですが疑うことは少なくなりました。

だけど、こうやって、人と接していたら、意外と感情も変わるんだと思いました。

なんでしょうね。


自分の殻が少しづづ破れていく感覚なんでしょうか?


よくわかってませんが、前より楽に生きれています。


それは、自分の行動に対して賛同もあれば、批判もあると理解できたからでしょう。



そして、世の中が批判しようと2.3人でも、やり続けていたら変わることもあるのだと思いましたし、自分が後悔しません。



前までは、人に何をやるにしてもいちいち聞いてました。


それを真に受けて自分の感情を消して、従っていました。


確かに、いっときは安心です。


だって、近くの人の意見に従っていたら、孤立しませんもん。

だけど、そんな快楽は、長くても一週間したら消えちゃいます。

そしたら、また迷い悩みます。

俺は、もうそんなこと嫌なんです。

人の意見は、もちろん聞きます。

だけど、その意見に自分の心が反応しなければ、やらないですし取り入れません。

それが、王道で無くても俺は、やりたい。

自分が思う、やりかたで。

私生活は、こんな感じでやりたいですね。

仕事は、また別だと思いますが。

仕事は社会性が無ければ、淘汰されます。

だけど、本気で、この案が良いと思ったらやらないと後悔します。

世の中に無いことを作るのだから、世の中は批判する人が多いでしょう。

特に、その分野に関わっている人は、自分のやってきたことが否定されているようで、嫌かもしれません。


だけど、世の中は動いています。

変えていかなければいけないことは出てきます。

それを、変えていく勇気が必要だと思います。


それには、「仲間」「志」「ちょっとの資金」これがあれば、なんとかなるかな?って思ってます。


まぁ~まだ動き始めたばかりなので、今はこれくらいしかわかりませんが、動いたらもっとわからない壁に合うと思いますが、目的を見失わないようにやっていきたいと思います。