摂食障害の年数が長いから。それがどおした。 | 摂食障がい心の居場所「たちあおい」(^^♪

摂食障がい心の居場所「たちあおい」(^^♪

2013年10月に埼玉・大宮で、摂食障がいの人の孤独感を無くすための居場所つくりと
摂食障がいを持ちながらも能力を最大限発揮出来る環境つくりを目標に”たちあおい”を始めました。

こんばんは。

最近自助グループの活動のために、人に会います。

話してくれる時に「摂食の人は」とか「~をするのは難しい」とか。を聞きます。

もっともな事を言われるので、そんなんかな?と思ってしまってました。

ですが、ふと我に返ったときに、

「まてよ、それは、みんなに当てはまるのか?」ということです。

少なくとも俺の知ってる摂食の人や俺自身の過去がそうだけど、「~は難しい」と言われるのを嫌う。

「摂食障害だから」と決めつけれるのは嫌だ。

確かに、病名を付けられて楽になれる時期はある。

このことは否定しない。

だけど、人間の欲求というか、「この状態でこのまま過ごしたくない」という気持ちが湧く。


この辛い状態を変えたい。という気持ち。

周りのせいにするのは良くないけど、周りが信じてくれないと特に人の言動に敏感で自分に自信が無い人は自分を疑ってしまう気持ちを強く持ってしまう。


俺は、周りの人がすることは二つで良いと思う。
ひとつは信じて、信じて信じきることが必要だと思う。

それにより、自分に自信がない人はやれる気がする。

自信がない人に周りも同じになって信じれないと、その人の芽を摘んでしまう。

だからこそ、俺は信じようと思う。

摂食で体力無くても、ほんの僅かでも何かしたいという気持ちがある人が居たら最大限やれることをやろうと思う。

だから、このブログを読んで下さってる人にも考えてほしい。

その人のことを信じ切ってみる方がイイか信じないで本人が傷つかない様にして関わるのが良いのか?

確かに、上辺で付き合うなら綺麗事だけ言って関われば良い。

だけど、本当に、その人の力になりたいなら、信じて信じて、待つこと。

二つ目は、行動出来るような環境つくりをするということも考えてほしい。

やるやらないは本人に任せる。

どうか、世間の基準で、自分の基準で目の前の人を判断しないで。

この人は、やれる人って思い、輝ける場所を一緒に探しても良いと思う。

色々な人が居る世の中。

だからこそ、どこかにある。

それを信じよう。

長文読んでくれて、ありがとうございました(≧∇≦)

このブログも、そうですが、自分に言い聞かせてる事が多いです。

なので、結構主観的になってます。