人は、弱い時の自分を忘れてしまうのかな? | 摂食障がい心の居場所「たちあおい」(^^♪

摂食障がい心の居場所「たちあおい」(^^♪

2013年10月に埼玉・大宮で、摂食障がいの人の孤独感を無くすための居場所つくりと
摂食障がいを持ちながらも能力を最大限発揮出来る環境つくりを目標に”たちあおい”を始めました。

今、摂食障害の自助グループについて調べていたら、正直色々凹んだ。

今の俺はバイトだが働いて、自信も付いてきた。

だからか、昔求めていた「人と比べないこと」や「ありのまま」という言葉の大切さが今の俺にはピンとこなかった。

2年前は、あんなに辛く人の優しさに触れたかったのに、今は俺自身厳しい人になっている。


だけど、本当は俺は弱い人間なんだ。


今も人の温もりを求めている。


改めて気付かされた。

「孤独感」を抱えている人には、寄り添い優しく、その人の歩みを、世の中のスピードよりゆっくりかもしれないが、気にせず少しの変化に一緒に認め合いながら歩んだらいいと思った。


俺は色々焦ってた。

焦っても、この精神の分野は良いことはないと思う。

やはり、その人のペースを見つけて歩むこと。


これしかない。

人生の生き方に「正解はない」


これを忘れていた


俺に寄り添ってくれた人の存在に自分も一生をかけてなりたいって思ったのに、な。

でも、改めて自分の歩む道を再確認できた。


人はスピードは違うが「成長」を心のどこかで望んでいるはず。


特に心の悩みが大きい人は現状を改善したいはず。


でも、その改善するスピードは人と比べなくて良いし、比べる必要は全くないんだ。


オレは、もっと幅を効かせられる人間にならないとな。

「攻めていく」のは事業に対してのみ。

これを、対人にはしない。


他人は、その人の価値観で変わっていくものなんだろう


だから、「その人が何かしたいときに一緒にする。」


この方が辛い人の支えにはなれる気がする。


だからかける言葉は「ゆっくり」では無く「周りの意見ではなくあなたのペースで」が適切ではないが「ゆっくり」よりは良いと思う。


今日も新たな気付きをありがとうございます。