世界観episode 44 -悪魔的飽き性で事業を畳む


軌道に乗っていたフリーランスのデザイン事業

を突然やめて、新しい同人音楽家の道を志した

ことは当時、誰にも理解されませんでした。

ただでさえ、難易度の高いフリーランスで

折角軌道にのっていたのに、突然手放して

新しいことを始めたくなるという感覚は

HSS型特有のものかもしれません。

これが何回も事業立ち上げにチャレンジして

やっと芽が出た事業だったならまた考え方も

違っていたかもしれません。

おそらくビギナーズラックもあり

1回目の独立で成功したので、少し甘くみていた

のだと思います。自分は目指したものは何者にでも

なれる・・・

それが30歳間近で自分を過信し過ぎた

僕の姿です。

しかし作曲1年目、当時「初音ミク」という

ボーカロイドが流行っていた時期でした。

クラブミュージックはなんとなくDTMをかじって

いたので、作ることは出来ましたが、Popsの

作曲は全てが初めて。

とりあえず流行っている「初音ミク」という

ボーカル音源を購入します。

新しいことを学ぶのは全てが楽しい。

Z君と作曲を学び、1年ほどDTM修行をします。

コード理論、美しいメロディの作り方

アレンジ、DTM音源

初めて「初音ミク」に歌わせた

作詞作曲が形になったときの感動は

今でも忘れられません。

これが作曲!楽しい!

今までに無い刺激だ!

Z君にも誉めてもらい、作品として出せる

レベルではないかと認めてもらいます。

そしてまだ京都に住んでいた僕たちは

はじめて東京の同人音楽の即売会「M3」

に参加します。

https://www.m3net.jp/

サークルと呼ばれる、インディーズのレコード

レーベルのようなものを作り、自主制作で

CDをプレスし、ホームページや特設ページ

を作り宣伝します。

そしてボーカルさんはニコニコ動画で探し

歌声が気に入った「歌い手」という活動

をしていた方にお願いしてみます。

何とかZ君と僕の2曲入りのシングル

が形になります。

デザインはもともとプロでやっていたので

お手のものでした。

今から考えると、CDを売る際にWEBプロモーション

がかなり重要になります。

当時2010年代・・・今なおSNSの主力であるXの

前身Twitterが流行り始めた頃です

Twitter運用という言葉は全く知らなかったですが

同人音楽をやる上で、自分たちの音楽を

手に取ってもらうためには

宣伝しなければいけません。

Twitterはプロモーション活動に

とても有効な手段でした。

始めたプレスして、手元に届いた

自分たちが作曲したCDは感動ものでした。

2曲入り500円

ポスターや値札を作りいよいよM3へ参加する

ために東京へ向かいます。





世界観episode 46 -自分の作品で0→1を突破した日
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