コロナ禍によって日本国民が被った不利益は計り知れない。健康が蝕まれたことは勿論のこと、家や職や財産の消失という不幸をもたらしたり、多くの人の命までも奪ってしまったのである。まさにコロナ憎々しである。

 

 この禍は我々に、好まざることながら多くのことを知らしめてくれた。

我が国の政治の驚く程の不毛さと後進性、ハイテク技術に対するハード・ソフト両面の遅れ、防疫意識・体制の致命的な欠如。中でも最も危惧されることは、いつ如何なる形で国家に降りかかるかも知れない災禍に対する危機意識と備えの無さである。
 

 世界が曲がりなりにも平穏を保ち、我が国が日々無事で何不自由なく暮らせている限り、不安も命の危険も感じることはない。

 しかし一旦今回のような、地球規模の人命を脅かすようなウイルス発生時に、自らの国家には何の対処指針も、ワクチン開発力も存在しなかった事実を突き付けられると、自国の無力さ無能さに大きな失望を感じてしまう。
 

 こんな事態を招いた原因は何だろう・・・。

 グローバルな視点でこの国を眺めた時、政治家も官も民も実に「お人好し」だと言わざるを得ない。

 何故か、今このような事態を引き起こした原因は、国の命運を「他国頼み」としていることにある。
 

 ”自ら高い金をかけて或いは手間暇かけてあれこれやるより、優秀な他国があるのだからそちらに頼れば良い”
 

 政治家や官がそのような選択をし、更には国民がそれを許容したのだとしたら、これを「お人好し集団」と言わずして何と言おう。

 我が国にそのような資力もスキルも無いならば、これは仕方のないことかも知れない。だが十分なる実力を有していながら、尚権利を放棄して他国頼りに走ることは、悲しいことながら人間の性を理解せぬ愚かな考えとしか思えないのだ。
 

 如何に人道的な国家と言えど、自国民が瀕死の状態となった中で、他国の為に力を割けるだろうか・・・。これを非人道的な行為等と言うことは決してできないだろう。避けがたい道理と言うべきである。
 

 今回このような記事を記す気になったのには理由がある。

 目を転じた時、我が国にはこのような命に関わる同類事例が結構存在しているからである。その中には実は今回のコロナ禍以上に、人命に関わる重大な問題が存在している。

 食料自給率の異常な低さである。
 

例えば世界の主要7カ国(G7)フランス、アメリカ、イギリス、ドイツ、日本、イタリア、カナダで品目別の自給率を比較すると以下のようになる。 

HOT INFORMATION】の農業情報を参照

 

① 穀類(米・麦・そば・とうもろこし・飼料用穀物等を含む)の自給率

1カナダ 178 %2フランス 170 %3アメリカ 119 % 

4ドイツ 112 %5イギリス 94 % 6 イタリア 63 %、 

7位 日本 28 %

日本人の主食である米だけに限れば自給率は100%だが、麦類や飼料用穀物は殆ど が輸入に頼っている。ちなみに国産牛肉1kgを生産するためには11kgの穀物が必 要だそうである。
 

 いも類の自給率

1カナダ 159 %2フランス 136 %3ドイツ 121 %

4アメリカ 103 %5 イギリス 90 %6日本 74 %

7イタリア 57 %

1970年くらいまでは、日本の自給率 はほぼ100%であった。
 

 豆類の自給率

1カナダ 312 %2アメリカ 192 %3フランス 84 %

4イギリス 46 %5 イタリア 42 %6ドイツ 16 %

7位 日本  9 %

味噌、醤油、豆腐、納豆、煮豆、油揚げ等々日本型食生活になくてはならない豆類 である。

 

 野菜類の自給率

1イタリア 146 %2アメリカ 87 %3日本 79 %

4フランス 62 %5 カナダ 61 %6ドイツ・イギリス 46 %

1969年までは日本の自給率100%超であった。

 

 果実類の自給率

1イタリア 108 %2アメリカ 73 %3フランス 62 %

4日本 40 % 5ドイツ 27 %6カナダ 22 %、  

7イギリス 10 % 

1960年ごろまでは日本の自給率100%超であった。
 

 命を繋ぐためには必須の食料。その自給率の現実がこの数値なのである。

 繰り返すが、平時であればその年の出来不出来で多少の価格変動はあるにしても、殊更に飢えに直結するような危機を感じる事は無い。

 しかしながら近年の異常気象がもたらす地球規模の災害多発を考慮するなら、食料生産への致命的な打撃は避けられる筈もなく、やがてその影響は輸入不能と云う形で我が国に降り掛かってくるに違いない。

 他の先進国が食料自給率を高めようとする最大の理由は、まさにこの一点であり、故に国防政策の重要課題ともなっているのだ。

 アメリカが農産物の種子を独占しようとする意図も、当国防策の一環であることは疑えない。
 

 このような話は決して難解なものではない。心ある国民やまっとうな政治家なら、常に抱いている懸念であり、それ故事あるごとに声を上げてもいる。しかし残念ながら政治を動かせるほどの勢力までには至らない。

 言い方を変えれば、日本社会はか様に無思慮・無分別の薄っぺらな国民に満ちた社会となってしまっている。

 目前に迫りくる危機を見ながら、それに気づくこともできず、平然と刹那の快楽のみに身を任せ、かかる事態に直面し初めて苦しみと共に後悔する。
 

 この世に奇跡の生命を与えられ、貴重な精神()向上への舞台(機会)に立ちながら、自らを見つめることもせず環境に流されるだけの薄っぺらな人生。

 この途方なき無念さに人は早く気づくことだ。自分自身をしっかりと見つめ、自らの頭で思考をめぐらせば、世のあるべき正しさが理解できる筈である。
 

 国家の歪みや理不尽さは政治家だけの責任ではない。間違いなくそれを許している国民の責に帰すべきである。

 国というものは、国民によってしか変えられないことを知るべきだ。

 

 終息の先行きも見えぬコロナ禍、多くの国民の生活を困窮に陥れ、不自由さを強いて、命までも奪ってしまう。

 この様な中にあっても、せめて明日にプラスとなる教訓だけは学び取っておきたいものである。