一世紀頃

●  AD57 (漢書東夷伝)
     倭奴国王、後漢の光武帝より金印と紫綬を授かる

考察

九州にあった倭国、「漢委奴国王」の金印拝受で有名な記事である。この時代に至る紀元前後の倭国情報に、国力を示すものは殆ど見られなかったのが、これ程明確な形で唐突に登場して来たことには、若干の驚きを覚えてしまう。

歴史的には、初めて正式な国家として認知されたように思われる。

BC二~一世紀頃100国程もあった小国群は、その後30国迄に集約された。西暦に入ると、更に力関係の序列化が進み、その中から「倭王」の誕生をみることとなる。「金印」がこの事実を証明していることは疑いようがない。
歴代の中国王による金印授与国は、それ程多くは無かったようだ。そうであれば、「漢委奴国」は、それなりに国家としての体裁を備えていたものと判断出来よう。

 

一世紀前半のこの急速な発展は、何によってもたらされたものなのか、まさに我が国成立の核心にも迫る重要なピースと言える。
 

ここで、やや話は変わるが、金印を賜った倭国王は、「漢の倭の奴(な)の国王」と我々は教わった。刻印された漢字を見ると「漢委奴国王」となっている。素直に読めば「かん・い・ぬ又はど・こく・おう」である。

「奴」には、漢和辞典を見ても「な」の読みは無い。したがって古田武彦氏は、これは「漢のいど(委奴)国王」と読むべきであると主張された。「委」は「倭」の略字と見られるので問題ないが、「奴」を「な」と読む根拠が見当たらないのである。

 

「委奴」とは、「倭は漢に隷属する国」という意味にもとれる。ここを「奴国(な国)」と解釈すれば、漢王は一小国の「奴国王」に金印を授けたことになり、常識的には理解し難いことになる。
 

ところで、この問題を解消する、一つの私案があるので述べてみたい。

糸島(伊都志摩)の地には、もう一つの「いと」がある。漢字では「怡土」と書く。古代史上に登場する「怡土」の最古の記録は、知る限りでは奈良時代の天平勝宝(756年)から神護景雲(768年)にかけて築城された中国式山城「怡土城」(於;続日本紀)に於いてである。この城は当時太宰大弐であった吉備真備の築城とされる。

この「怡土」が「魏志倭人伝」に登場する、「伊都」(国)に当たるのではないかとも考えられるが、「怡土城」以前を記録した資料が無く、この古名がいつの頃から存続しているのかは不明である。

 

後世資料からの確認とはなるが、明治22年(1889年)に町村制が施行され、「怡土村」には以下の村々が属することとなった。

高祖村、大門村、高来寺村、川原村、王丸村、末永村、西堂村、瑞梅寺村、井原村、三雲村、井田村

 

もし当ブログを古代史愛好家がお読み頂いているのであれば、これらがただならぬ村名ばかりであることに驚かれる筈である。

偉大な先人「原田大六」氏が、あの「卑弥呼」存在の地として比定された、その中心地ばかりなのだ。この辺りには、銅鏡や三種の神器を埋蔵した、多くの遺跡があり、古田氏は「天孫降臨の地」であるとも述べられている。

 

前置きはこれ位にして、本題に入る。
「怡土」という名のこの地が、古には九州北部の中心都市「怡土(伊都)国」であったとしたらどうだろう。

漢王を拝謁した使者は、恐らく「我々は怡土国王(いとこくおう)の使者である」と言うだろう。当時は「イド」と発音したのかも知れない。漢の書記官はそれを「委奴国王(いどこくおう)」の文字を当てて記録した。このような可能性もあるのではないだろうか。


「魏志倭人伝」が示すように、西暦240年頃の「卑弥呼」の都「邪馬壹国」は伊都国ではない。しかし魏使が通り過ぎた「伊都国」には、前1000年頃の「周王朝」由来の官職名が、使用され続けていたのだ。したがって、金印拝受の時代の中心国「委奴国」が「怡土国」であっても何ら不思議はない。一つの仮説として記しておく。

 

● 59年 (三国新羅)
     夏の五月に倭国と修交し、使者を派遣し合った。

● 73年 (三国新羅)倭人が木出島(所在地不明)を侵して来たので、王は角干(最上の官

  位)羽烏(うう)を派遣 して、これを防がせたが、勝てずして羽烏が戦死した。

考察

上記59、73年の記事自体は疑いずらい。いずれも自国を修飾するものではないからだが、年代の正確さ迄は検証できない。

卑弥呼擁立の因ともなった倭国大乱を考えると、先立つこの時代に、海外派兵を可能とするような国家のまとまりがあったとは、到底考えられない。あるとしたら、半島や対馬辺りにあった倭の少国の行為かも知れない。

 

一世紀を総括すると、高句麗と倭国は国力の増強と国としてのまとまりが向上しつつあるように見える。新羅は今スタート地点にスタンバイしたところで、百済は未だエネルギーの補給半ばと言ったところか。

                                         次回に続く