ここ糸島は、日本の成り立ちに大きく関わってきた由緒ある地域である。
古には伊都国として知られており、卑弥呼・邪馬壹国縁の地でもある。
背景に遠くは背振・油山山系、近くには雷山・七山の山並を擁し、一方は対馬・玄海の暖流に対面する。
外界に門戸を開く海の玄関口としては、まさに理想的な立地だったろうと思われる。


航空機が乱舞する現代でこそ、その地理的重要性が薄れてはいるが、悠久の歴史を秘めた原日本的風景の内には品格のようなものがあり、なかなかに侮りがたいのである。
幾多の墳墓や遺跡、そこら中に点在する古神社、それらを取り巻く稔り豊かな田畑等々、日本建国発端の地とするには誠にふさわしい。


大阪に在住していた若かりし頃、奈良や京都に何度も足を運んだ。
いずれも日本を直に感じる地域であるが、当然ながら権力の中枢としてこの国を統べて来た、華やぎの残像がそこかしこに感じられた。
やはり、ここ糸島の地と比較すると時代的な進化を認めないわけにはいかない。
ではあるが、糸島には大和・奈良にも増して、素朴ながらもなお秘めたる雅を感じるのは不思議である。

雷山川が海に帰する河口には加布里という漁港があり、全面がかなり大きな湾となっている。
左に唐津、右に糸島半島を両翼とする湾で、半島の西方付け根には雷山川を跨ぐように弁天橋が架けられている。
このあたり、湾岸沿いの道は「サンセット・ロード」という洒落た呼び名が冠されているのだが、とりわけこの橋の上からのサンセットはとびきりの絶景である。
晴天の夕刻には、眼前に広がるたおやかな山の緑と、薄青色の海に鮮やかに映える夕日の赤が、えも言われぬ幻想的な景色を描き出す。

 

 

このあたり一体の海は前述の通り緩やかな湾を形成しているため、厄介なゴミとなる海の漂流物は些程見受けられない。
しかしながら、やや外海に面した半島の浜辺にだけは、潮の流れの影響によるものか、何故か大量の漂流物が流れ着く。

この漂着物なるものは、ゴミではあるが結構奥深いものを包含しているのである。


これらははるか彼方より暖流に乗ってやって来る。
中国や韓国より流れ着くものもあるし、もちろん我が国の近隣の地より来たるものもある。
これらの流れ着くゴミを眺めていると、はるか昔白砂青松時代の海の漂着物はいかなるものであったろうか・・・と思いが巡る。
古の時代、伊都国の歴史に思いを馳せた時、きっとこの国を発生源としない珍しい漂流物も多かったのではないか・・・もしかしたら、それらが伊都国の先進的な歴史を形成するきっかけとなったのかも知れない・・・何てことをつい考えてしまう。
あらぬ空想を呼び込んでしまう程、糸島は魅力に富んだ地域なのである。