各時代の中国史書の指し示すもの・・・それは、

 

『明確な歴史事実(記録)、「倭国は北部九州に存在していた」である』

 

「近畿王朝一元史観」は我が国の動かし難い常識とされているが、この禁断たる領域に、一人敢然と立ち向かい、微細に渡って検証された古田武彦氏の結論。

氏の検証の行き着くところこそ、中国史書の指し示すところでもあるのだ。

 

「唐書」以前の中国史書を、改めてこの視点で眺めれば、記紀に登場するような近畿王朝の影はまるで存在しないことが分かる。従来の日本史を信じていた者にとっては、まさに驚愕の事実となる筈である。

西暦700年以降現代に至るまで、概ね1300年の時をかけて、じっくりと醸成されて来た「天皇史観」。近年に至っては、ある種の意図をもって洗脳された観念。

それはある意味マインドコントロールと言えるのかも知れない。

 

しかしながら、この「天皇史観」を歴史判断の基準に据えている限り、自然で常識的な歴史のなり行きですら、屈曲して見えてしまう。

 

古田氏は、徹底した原文主義をもって、安易な読み替えや、自論・推論へのすり替えを厭われた。原文の不足するところは、可能な限り近似の資料にヒントを求め、苦し紛れの妥協は決してされなかった。結果は当然ながら、理路は整然とし、誰もが納得し得る論旨となった。

私のような一介の古代史愛好者でも、説かれるところが明々と理解できるのである。

 

同じ疑問や問題をインターネット上・その他に問うとどうか・・・そこには根本となる原文への不信や、強引な置換えや、手前勝手な推論等々が、依るところの根拠もなく横行している。

古田氏の筋の通った解説や、明快な論の対象となる事象も、決めつけられた観念の目で見ると、こうまで歪んでしまうのか・・・何とも滑稽でさえある。

【つづく】