1961年の10月に私は、産まれた。
もちろん、新生児なので、世間のことなの何もわからない、どんな時代に産まれてきたのかまったく自覚が無い。
0歳児なのだから当たり前の話である。
しかし、その0歳児には、周りの新生児とは違ったことが、一つだけあった、それは、結核に感染していたのである。
私の父親は私が産まれる少し前に、結核に感染していたのであるが、この父親は、病院と言うものが大嫌いで、少々のことでは、病院には、かからない人だった、だから私は父親から、結核と言う病気をプレゼントされて産まれてきたことになる。
もちろん、新生児隔離病棟など無い時代だから、母が出産したと言うか、私が産まれた病院に特設の隔離病棟とと呼ぶにはあまりにも、陳腐な隔離病室が作られたそうである。
ちなみに、その病室は3方向がガラスでできていて、病院関係者は金魚鉢と呼んでいたらしい。
らしいと言うのは、私にそのときの記憶が無く、物心がついたときに、叔母から話を聞いたからである。
今日のお話は、この辺にしておこうと思う、続きは、不定期になると思うが、期待しておいてほしい。
もちろん、新生児なので、世間のことなの何もわからない、どんな時代に産まれてきたのかまったく自覚が無い。
0歳児なのだから当たり前の話である。
しかし、その0歳児には、周りの新生児とは違ったことが、一つだけあった、それは、結核に感染していたのである。
私の父親は私が産まれる少し前に、結核に感染していたのであるが、この父親は、病院と言うものが大嫌いで、少々のことでは、病院には、かからない人だった、だから私は父親から、結核と言う病気をプレゼントされて産まれてきたことになる。
もちろん、新生児隔離病棟など無い時代だから、母が出産したと言うか、私が産まれた病院に特設の隔離病棟とと呼ぶにはあまりにも、陳腐な隔離病室が作られたそうである。
ちなみに、その病室は3方向がガラスでできていて、病院関係者は金魚鉢と呼んでいたらしい。
らしいと言うのは、私にそのときの記憶が無く、物心がついたときに、叔母から話を聞いたからである。
今日のお話は、この辺にしておこうと思う、続きは、不定期になると思うが、期待しておいてほしい。