冬の到来だ。夜道に空気が冷たく透き通るように感じる季節である。酔っぱらって帰宅するぼくにとっては、この季節はなんともせつないが、なんとなく好きな時期ではある。

冬の夜空を見上げながら、鼻水をすする。この季節の夜空は本当に澄んでいていて、大きく、きらめいて輝き、背を伸ばせば手が届きそうに感じる。小学校1年生になる娘とそんなきれいな夜空を見ながら歩いた。そうしていると世の中のちっぽけな悩みなどどうでもよくなってくるし、謙虚な気持ちで生かされていることにただただ感謝する。

 娘が「あの星とって、寝る時に天井に飾りながらみあげつつ眠ってみたい」という。
人類が誕生してから、いったい何人の人間が星をとりたいと願い、手を伸ばしたことだろう。おそらく想像を絶するくらいの人々が網を投げたり、石を投げて落そうとしてみたり、きりりと弓を引いてみたりした歴史に思いを馳せるとそれはそれは面白い。

 空を見る時、ぼくたちが見ているのは空いっぱいの過去である。宇宙誕生以来の悠久の歴史を光として空一面に見ているのだ。金星が何分か前に放った光となんちゃら星雲の何百年前に出した光を同時に見ているわけである。夜空はそんなめくるめく輝かしい光の時間差を超越して、スクリーンに映し出してくれる。

 話は戻る。
娘に訊いてみた。「どうしてお星さまをとるの?」
「星をとるお友達を募集するポスターをほうぼうに張って、100人集めるの。それから、みんなで一緒に木に登って網をかけてとるの。難しかったら、ロボットに手伝ってもらう。
きっとロボットも協力してくれると思うの。」
「すごいねー、るな。でも万が一とれなかったらどうするの?」
「その時は熱い紙を切って、絵の具で黄色にぬってみんなで星をつくるの」
わが娘ながら、夢のある話を聞いてなんだかじーんとなった。





 娘を見つめた。にこにこ無邪気に笑っている。星と同様いとおしい娘もすごーくすごーくちょっとだけちょっとだけの前の姿だ。すごーくすごーくちょっとだけちょっとだけ未来の娘の顔からは星と同様明かりが消えているかもしれない。諸行無常のことわりでではないが愛する人間の姿もちょっとだけちょっとだけすごくちょっとだけあとには変わっているかもしれない。だから大事なのは愛する相手を抱きしめていることだ。ぴたりと寄り添って同じ空間に身を置くことだ。同じ空気を吸うことだ。人間の体は寄せ合うためにあるのであって、両手はだきしめるためにあるのであって、決してバイバイと手を振るためにあるのではない。
 そう思ったら、夜空の星たちがきらりと輝き、にっこりと笑った気がした。