随筆は、ある程度年かさを経ないとそのおもしろさが理解できないものであろうか?

随筆のおもしろさとは、そこに書かれた文章を味わうこと自体に他ならない。

知識や筆者の考え方、心があって、風格が漂っていてほしい。なおかつ、気軽に読めて、おもしろいものであってほしい。

 文章がただあるのではなく、川の流れのように生きて、巡っていく。

一流の随筆家には、卓越した観察眼がある。随筆の随は、随分骨のずいまで観察することの意味であろうか。

彼ら彼女らの文章には、血の通った市井の人びとの息づかいや汗の匂いがあって、輝いているさまをくっきりと思い描くことができる。

 潔さ、懐の深さ、人を見る眼の限りない優しさがあって、未熟だがじたばたしながらもがいて精一杯生きている人の暮しが描かれる。

白でもなく、かといって黒でもなく、好きだけどきらい、きらいだけど好き、善とも言えず、かといって悪でもない目線と包容力がある。

小さなことにくよくよしながら、格好つけたり、意地をはったりする生身の人間がいる。描かれる。

大阪弁でいうところの阿呆な笑われものの一途さが心にしみるのである。