どーも。最近暖かくなってきて花粉症の人を見ると可哀想に…と思っているアホ大学生です。


春の足音がどんどん近づいてきて日中はポカポカ陽気な日が増えてきましたね。長い冬がやっと終わりを迎えたような気がしますが、まだ朝晩は冷えますね。今年の冬は入院していたこともあってなんだかいつもより短いなと思いました。来年の冬は今年行けなかったスノボに行きたいなと思っています。

時間もお金も余裕のある大学生のうちに色んな経験をしておきたいなと思う今日この頃です。


さて。今日は僕の死生観についてお話しようと思います。前からお話しているように僕は双極性障害を抱えています。高校生のときに発症して、治る見込みがあるのか自分ではよく分かりません。多分一生かけても治らないかもしれません。半分治らないかもしれないと諦めていますが、まだ治るかもしれないとどこか期待しているところがあるのも事実です。僕は医者でも未来予知ができるわけでもなんでもないので治るかどうかはさっぱり分かりませんが、治ったら嬉しいなと思っています。

タイトルは「躁うつ」となっていますが、双極性障害のことです。正確には双極感情障害と言いますが、この記事では双極性障害とさせてください。


双極性障害にはアクセルベタ踏み状態の躁状態とブレーキベタ踏みのうつ状態があります。たまにアクセルとブレーキどっちも踏む混合状態やなんかもありますが、基本的に躁とうつを行ったり来たりしています。僕は双極性障害の中でもラピッドサイクラーと呼ばれる休息交代型双極性障害と闘っています。ラピッドサイクラーは年に4回以上、躁とうつ両方を繰り返す状態であり、医学上かなり危険(らしい)です。

躁のときはアクセルベタ踏み状態なので、やりたいことがどんどん浮かんでやれてしまいますが、うつのときは何も出来ずに、ずっとグルグルと同じようなことを考えてしまいます。

何を考えているのかというと


「死」


についてです。

前にも書いたかもしれませんが、僕は死ぬのが怖くありません。なんなら死ぬのが楽しみなくらいです。うつのときは「なんで生きてるんだろ…」とずっと自分に問い続けます。もちろん正解なんてありません。ただ生きていることに価値を見いだせません。誰かの何の役に立てているわけでもなく、ただただ生きている自分が嫌になるのです。いっその事、臓器移植のドナーになって誰かのためになれたらと本気で考えるのです。

「生きていればそれでいい」と言いますが、そんなことないと思います。生きていればもちろん楽しいこと、嬉しいこともあると思います。でも自殺する人は後を絶ちません。その人たちはは生きることが苦しかったんだと思います。楽しいことと苦しいことを自分の天秤にかけて苦しかったことの方が大きくて、生きるのを辞めたくなった結果だと思います。実際に死ななかったとしても生きるのが苦しくて嫌な人も居ると思います。僕もその1人です。

この先、どんな未来が待っているのかなんて誰にも分かりません。僕の病気がいつ治るのか。僕がいつ死ぬのか。僕に楽しい人生は待っているのか。そんなことは誰にも分かりません。

生きるのは嫌なことですが、もう少しだけ生きてみようと思います。明るい未来が待っていることに期待してみようと思います。それでもし生きる理由が見つかれば、それに向かって頑張ります。でも一生かけても見つからないかもしれません。双極性障害は一向に良くならないし、付随する不眠症も悪化するばかりです。僕が一生かけても治らないかもしれません。治らなかったとしても、僕の人生が終わるその日までは生きる理由を探してみようと思います。

明日は今日よりいい日になることを願って。



アディオス。