相鉄の西谷駅から2駅、天井からミストが吹き出す二俣川駅で下車。
お昼までまだあるが、コンビニで食糧調達。冷たいドリンクで火照った体を内側から冷却。
ここから県立公文書館へは、運転免許試験場までバスで行って、そこから歩くのが楽だが、一息ついたので、もう一頑張り歩いてみよう。
駅前の県道40号(厚木街道)を渡ると、交番前から別れる細道に「旧厚木街道」と書いてあるのを見つけた。
地図を見るとこちらからでも行けそうなので、旧道を歩いて行く。
すぐ先の分岐を右折。こちら向きの一方通行だが、「運転試験場通り」の看板がある。
確かに旧厚木街道を歩いているな。
丘陵地から北側の谷(中尾小学校)を挟んで運転免許試験場を望む。右奥に何か廃墟のような空地があるが。
厚木街道を外れて谷を下り、公文書館に到着。案外駐車場が広かった。今度は車で来よう。
歩いたルート(http://yahoo.jp/UPwOFo)。全長1.3km。
古い地図(歴史的農業環境閲覧システム)で確認すると、新しい県道や相鉄が南側の谷スジを行くのに対し、旧厚木街道は丘陵の尾根スジを行く。
実は最初の角を右折せずに、二俣川小の南側を行くのが正解だったような。(途中、階段になっているようだ。)
時刻は12時前。まずは展示室を見学。
入室の際に自分でカウンターを押すようになっているが、見ると002だった。
神奈川県が最も大きかった時代(明治9年~26年)。八王子などは「絹の道」で横浜と結ばれていた。
明治26年の三多摩地区の東京府編入は、東京の水源確保が表向きの理由であるが、編入した東京の側にはあまり資料が残っていないそうだ。かなり政治的なニオイがする。
真相は軍拡に反対する自由党を弾圧するために、その本拠地であった三多摩地区を改進党が強い東京府に併合したのだという。確かに水源問題だったら町田とかは関係ないもんね。
次の展示、公募で選ばれた神奈川県の県章とボツ作品。
採用作(一番上)は「神」の字を図案化したというのだが、あまりそうは見えないなぁ。
他の作品は「カナ川」をモチーフにしたものが多く、そっちの方が画的には格好良く見えるのだが。
十分に涼んだので、休憩コーナーへ行って昼飯。ついでに汗でぐっしょり濡れたシャツを脱いで、Tシャツ一丁に。Tシャツも濡れているのだが、替えのTシャツは持っておらず、上半身裸ではさすがにまずい。
閲覧室には鞄などは持ち込めないので、リュックをコインロッカーに預け、いざ閲覧室に入室。
さすがは県立公文書館、各自治体の公報等の刊行物や歴史資料がズラリと並んでいる。
12時~13時は閉架図書の出庫はできないので、PCで資料を検索。
席に座って検索している内に、濡れたTシャツのままでは寒くなってきたので、脱いでいたシャツを羽織る。
このブログの3大テーマである、鉄道・道路・送電線関係のキーワードをいろいろ入れてみるが、「隧道」などではバラバラの資料が大量にヒットしてしまい、1回に10冊までしか閲覧できない仕組みなので、効率がよろしくない。
しかし、「橋梁」については土木事務所ごとに橋梁台帳があるらしいので、そいつを出してもらうことに。
小田原土木事務所の昭和39年版3冊と松田土木事務所の2冊。
ケースは立派だが、中は50年以上前の古びたファイル。(↓クリックすると一覧が拡大表示されます。)
土木事務所管内の国道、県道にかかる橋が巨大なものから水路にかかる小さなものまで、設計図と写真付きで1つずつ掲載されている。小田原のは小さめの写真、松田は写真が大きくて見やすい。
なお、歴史的公文書はコピー機での複写では資料が傷むため、持参のカメラでの撮影を推奨しており、届けを出せば無料で何枚でも撮影が可能だ。午後5時の閉館までひたすらデジカメで撮影しまくり。途中でバッテリが切れて、iPhoneでも撮影した。全部で何百枚になったんだろう?
著名な橋梁は「相模の橋 今昔」に現橋と旧橋が載っているので、目新しいものは少ないが、いくつか紹介しよう。
国道1号 旭橋(箱根町)
写真小っさ。1933年架橋。千歳橋、函嶺洞門とともに土木遺産に指定されている。
ここから先は、写真が見やすいのを選んでる。
国道135号 白糸橋(小田原市)
1956年架橋。吊り橋だった旧橋と一緒に映っている。
わが国最初の鋼鈑桁曲線橋として土木技術史に名を残す。
国道138号 矢落沢橋(箱根町)
国道246号 樋口橋(山北町)
1926年架橋。隣にBPの新樋口橋が架けられたが、旧道の橋も現存。
1954年架橋。2003年に山北BP(瀬戸地区)が完成するまで現役国道橋だった。今も県道橋として現存。
国道246号 清水橋(山北町)
1929年架橋。1968年に新橋、1983年に新々橋が架けられた。新橋は使用停止のまま現存(歩道用?)。
1928年架橋、1974年改修。最近、橋脚が洗掘されて橋が沈下したりしたが、修復されて未だ現役。
県道栢山停車場曽我線 報徳橋(小田原市・大井町)
1933年架橋。この橋は1965年に架け替えられて、同じ場所に水路橋が架けられている。
県道沼田国府津線 山道橋(南足柄市・小田原市)
なんと木橋の写真。1948年架橋。1980年、下流に架け替えられている。自宅から歩いて行ける。
県道怒田開成小田原線 狩川橋(小田原市)
1960年架橋。隣を走る小田急線が現在はトラス橋になっている。
県道小田原山北線 駒千代橋(南足柄市)
1952年架橋。1975年に架け替えられて、トラスは近くの神明橋で再利用された。
県道小田原山北線 押切橋(南足柄市)
大雄山線と旧県道の交差部分。現在は歩道が追加されている。
県道小田原山北線 大口橋(南足柄市・山北町)
1948年架橋。1971年、上流側に新大口橋が架かり、旧橋は撤去された。
周辺の道路形状が旧橋の位置を暗示している。
県道山北山中湖線 川西橋(山北町)
1951年架橋。1969年に架け替えられて、トラスではなくなっている。
県道山北山中湖線 永歳橋(山北町)
1930年架橋。1972年に豪雨で流失して仮設橋に。三保ダム建設に伴い、1978年丹沢湖に没した。
国道246号旧道 甘柿橋(秦野市)
1953年架橋の木橋。
最後に、箱根の湯本元箱根線の橋梁を調べていらっしゃるBAZUさんに敬意を表して、データを提供。
番号 | 橋名 | 架設地点 | 型式 | 橋長 | 幅員 | 竣工 |
126-1 | 三枚橋 | 足柄下郡湯本町湯本三枚橋 | Sus | 61.20m | 3.6m | 昭和2年9月 |
126-2 | 猿沢橋 | 足柄下郡箱根町湯本茶屋 | PC桁橋 | 25.10m | 7.0m | 昭和35年3月 |
126-3 | 紀念橋 | 足柄下郡湯本町茶屋 | K | 9.10m | 4.50m | 昭和7年3月 |
126-4 | 駒沢橋 | 足柄下郡湯本町茶屋 | K | 8.64m | 4.50m | 昭和7年3月 |
126-5 | 観音橋 | 足柄下郡湯本町茶屋 | K | 16.50m | 4.50m | 昭和7年4月 |
126-6 | 葛原橋 | 足柄下郡湯本町茶屋 | K | 10.00m | 4.25m | 昭和3年3月 |
126-7 | 堀木橋 | 足柄下郡湯本町須磨川(ママ) | Sb | 15.90m | 4.30m | 昭和11年 |
126-8 | 二之戸橋 | 足柄下郡湯本町須雲川 | K | 18.50m | 4.35m | 昭和2年9月 |
126-9 | 須雲川橋 | 足柄下郡湯本町 | St | 41.80m | 4.60m | 昭和5年9月 |
126-10 | 靜枝沢橋 | 足柄下郡湯本町畑宿 | 3.00m | 4.65m | 昭和6年 | |
126-11 | 新千鳥橋 | 足柄下郡湯本町畑宿 | St | 23.40m | 4.55m | 昭和7年7月 |
126-12 | 畑宿橋 | 足柄下郡湯本町畑宿 | K | 3.00m | 5.00m | 昭和7年7月 |
126-13 | 朝日橋 | 足柄下郡湯本町畑宿 | K | 3.50m | 5.00m | 昭和7年7月 |
126-14 | 水道橋 | 足柄下郡湯本町畑宿 | K | 4.20m | 5.00m | 昭和7年7月 |
126-15 | 樫木沢橋 | 足柄下郡湯本町畑宿 | K | 6.00m | 4.60m | 昭和7年 |
126-16 | 下双子橋 | 足柄下郡湯本町畑宿 | K | 4.00m | 5.00m | 昭和7年7月 |
126-17 | 双子橋 | 足柄下郡湯本町畑宿 | K | 4.00m | 5.00m | 昭和7年7月 |
三枚橋は昭和39年に架け替わっているはずなのに、反映されていない。(Susは吊り橋の意味だろう。)
猿沢橋は架け替えで台帳が更新されたらしく、用紙の様式が他のものとは異なり、町名も合併後の「箱根町」となっている。
閉館と同時に外へ出た。濡れていたシャツも半乾きになったので着直した。
帰りは運転免許試験場の方を回っていく。
道を挟んで反対側に、公文書館への道を示した看板がある。
黒で塗りつぶしてあるのが何かと言うと、
9年前に見舞いで何度も通ったがんセンターの跡地だった。
2013年11月2日に試験場隣の現在地に移転したらしい。知らなんだ。
旧・がんセンター跡地は試験場の建て替え用地に充てられるらしい。
実際、ドア上の液晶モニターとか車内アナウンスとかは、E233系とそっくりだ。
激混みだった海老名からの小田急も、本厚木でドッと下車し、難なく座れたのだった。
元気だったら帰宅してから酒匂川花火を見に行くつもりだったが、疲れたので中止。家で花火の音だけ聞いた。
(終わり)