1995年7月28日の撮り鉄日記

(この日記は1995年7月28日の内容だが、ブログ投稿は2021年10月28日)

この日の夜は、水道橋の吉野家で、高崎在住?のテツの友人、N氏と待ち合わせ。
俺は非常に腹が減っていたので、水道橋の吉野家に先に1人で入って飯食っていた。

本当は実家のクルマで水道橋へ行き、N氏を乗せる予定だったが、
親がクルマを使っていたので、仕方なく電車で水道橋へ行った。
(うちのクルマは親が所有していたので仕方ない)
普段めったに親がこの時間帯にクルマを使うことがないので、俺はすっかり油断していた。


当時は携帯電話があまり普及していなかった時代なので、
待ち合わせ場所に向かって出てしまってからでは、連絡のつけようがなかった。

現在ならそういうとき、携帯電話で通話、あるいはメールやLINEなどで連絡し、
「クルマが無いので待ち合わせ場所や時刻を変更しよう…」と伝えることができるが、
なにせ携帯電話を持っている人は、ごく一部の金持ちとか、バリバリのビジネスマンくらいしか持っていなかったような時代なので、
こうして、もう待ち合わせ場所に向かって家を出発してしまっているであろうタイミングでは、
連絡のしようがなかったのだ。


水道橋の吉野家の前にN氏が来たので、
事情を話し、電車で一旦うちに来てもらい、うちからクルマに乗ることにした。

秋葉原の時点で0時を過ぎたので、N氏は秋葉原駅にて青春18きっぷに日付のスタンプを押してもらっていた。

まだ、京成電鉄の終電にも間に合う時間帯なのだが、
N氏に日暮里から青砥までの電車賃をかけさせてしまうことになるので、
北千住乗り換えで常磐線緩行に乗って、亀有で降り、
亀有駅から徒歩でうちへ向かった。

まあ、テツのときは2kmくらい普通に歩くので、どうってことはない。

そして、うちにたどり着き、
自宅のクルマに乗ってでかけた。

深夜に西新井のGUSTOでくつろごうとしたが、
結局、深夜2時過ぎてしまい、西新井のGUSTOの閉店時刻に近づいてきてしまっていた。
(当時の西新井のGUSTOは、深夜3時まで営業)

なので、わざわざ足立区の大谷田に戻り、大谷田のジョナサンでくつろぐことに…
当時は深夜まで営業、あるいは24時間営業のファミリーレストランは、そんなに珍しいものではなかった。

深夜3時から早朝4時くらいまでくつろぎ、
また家に戻って、テツの道具を持って、
今度はクルマを使わないでテツに出た。

まず歩いて青砥駅へ行き、
日暮里からJRに乗って、
早朝5:13に上野駅を出る高崎線普通列車に乗った。

次の日の日記へ続く…
(“前の記事”で次の記事)


【了】
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