1995年4月1日の撮り鉄日記
(この日記は1995年4月1日の内容だが、ブログ投稿は2021年10月4日)
この日は早朝5:30には起床し、クルマで井堀信~尾久客車区(現在の尾久車両センター)の
踏切付近へ行った。
12系和式客車 「サワ座」の推進回送を撮影する予定であった。
しかし、俺がそこへ着いたのは6:17頃で、
もしかすると、もうモノは行っちゃったかもしれない!?という微妙な時間だった。
西新井在住のテツの友人のいなてぃす氏とも、撮影地で待ち合わせしていたが見当たらない。
尾久客車区をよ~く目を凝らして見ると、サワ座がすでにいるのが見える。
ということは、いなてぃす氏も、すでに帰ってしまった可能性がある。
(当時は携帯電話も殆ど普及していない時代で、仲間内で携帯電話を所持している者はおらず、こうして出先で会えなかった際に連絡のつけようがなくて、大変不便な時代だった)
いなてぃす氏が尾久へ来るとしたら自転車だ。
なので、西新井方向へクルマで行けば、途中のどこかでいなてぃす氏を追い抜くことができるのではないか?た考えた。
そう思い、尾久橋通り経由で西新井方向へクルマで向かった。
どこかで追い抜いたのか? そもそもいなかったのか? わからない。
いなてぃす氏の家の前で7:00頃まで待っていたが、
いなてぃす氏は現れなかったので、
すでに家の中にいる可能性もあると思い、諦めて俺も帰ることにした。