1995年3月16日の撮り鉄日記
(この日記は1995年3月16日の内容だが、ブログ投稿は2021年9月28日)
11:00頃起床。
池袋へ行って、フィルムを現像に出す。
フィルムで撮っていた時代は、フィルムを写真屋に出して現像してもらっていた。
現像と言っても、現在のようにパソコンでアプリでおこなうものではなく、フィルムを現像液に漬けて発色するもので、
通常、殆どの人は写真屋に依頼して現像してもらっていた。
フィルム1本あたり、500円程度かかるのが一般的だった。
モノクロフィルムなら、自分で現像する人も時々いた。
中学生や高校生で写真部の人は、モノクロフィルムを自分で現像する人も多かったらしい。
カラーフィルムは、技術的にもモノクロフィルムよりだいぶ難しく、お金もかかるゆえ、
中学生や高校生の写真部でカラーフィルムまで現像することまでは、なかなかさせてくれなかったらしい。
世の中的には、もうカラーネガフィルムが最も一般的な時代で、
モノクロフィルムを使う人はあまりいない時代だった。
ポジフィルムを使う人は、印刷目的のプロや、よっぽど写真に凝ってる人が多かったようだ。
当時の俺は写真屋でバイトしていたので、ネガカラーフィルムは自分のバイト先で現像していたが、
ポジフィルムに関しては、自分のバイト先の店には、ポジフィルムの現像をおこなう装備が無いゆえ、
結局 お店から現像所に出すことになっていた。
なので、この時は、池袋のビックカメラのDPEコーナーに出していた。
(のちにわかったことなのだが、本当に仕上がりにこだわるなら「プロラボ」に出したほうが良かったらしい。量販店でも、結局 現像所は小売店が出している所と同じになってしまうらしいのだ。)
さて、この時もビックカメラでフィルムを買ってきた。
時間が切迫してきたのと、雨が降っていたので、大塚~巣鴨のカーブへ行くのは断念し、
目白駅先端で回1541レに入ったマヤ検を撮ることにした。
目白駅のベンチですばやく、今 買ってきたばかりのフィルムをカメラに込めて、目白駅先端で回1541レを撮影。
回1541レ
EF65-1028牽引 マヤ34
[ポジフィルムよりキャプチャー]
当時は回1541レ→回4540レという、定期列車の回送列車がほぼ毎日運行されていた。
主に品川運転所から尾久客車区に24系客車1両か2両程度 回送されることに多く使われるスジだった。
当時はまだ寝台特急が何本もあったので検査などのためだ。
たまに、東シナか東オクの客車列車のジョイフルトレインの回送もあった。
牽引機は、田端機関区のEF65PFが多かったが、たまにEF58-61かEF58-89が入る場合があった。