1994年9月3日の撮り鉄日記
(この日記は1994年9月3日の内容だが、ブログ投稿は2021年8月13日)
早朝、青砥4:44発の初電に乗る。
(当時の初電は青砥4:44だった。もっと早く行きたい場合は、亀有4:37に乗る)
上野から高崎行きの初電に乗ると、尾久から友人いなてぃす氏が乗って来るという手筈の待ち合わせをしていた。
いなてぃす氏は、西新井在住なので、東武鉄道で来ると、上野からの高崎行き初電には間に合わないので、
尾久まで自転車かタクシーで来ると言っていたような気がする。
このあと、俺達は
青春18きっぷでひたすら普通列車を乗り継いで、長岡経由だったか? 直江津経由だったか?
覚えていないが青海川へ行った。
当時は信越本線が高崎から直江津までつながっていたので、直江津経由で行った可能性もある。
青海川駅で降りて、歩いてキーウエストという飲食店へ行ったが、
団体客が入っていて、俺達は入れなかった。
しかし、「シーガルをご利用ください」と書いてあり、行き方の地図が示してあった。
そのシーガルという店のほうに行くと、海を前方に青海川駅を望むことができた。
おそらく、現在の恋人岬の所にある土産物屋だと考えられる。
当時はレストランだった。
その店へ続く道から、列車を1本撮ってみようということで撮ってみた。
現在はその店へ続く道は、もっと内陸側にあり、海に沿っていないが、
当時は海に沿った道で行くことができたのだ。
しかし、現在もこれとほぼ同じロケーションで撮ることはできる。
現在なら恋人岬から撮ればこんな感じになる。
[ネガフィルムよりキャプチャー]
そのシーガルという店では、シーフードカレー🍛を食った覚えがあるが、
具が何も入っていないシーフードカレー🍛で、何も具が入っていないのに、どこがシーフードカレーなのか?と不審に思った覚えがある。
それで1000円くらいだったような気がする。
アイスクリーム🍦も食って、
そのあと、鯨波の定番撮影地付近へ行った。
この5年前、俺が高校2年の夏に、初めて鯨波に訪れた時に、海の岩場をよじ登ったり、木の板の橋を渡ったりしてロケハンしたことがあったが、
その場所に、いなてぃす氏を連れてゆき、5年前のロケハンを再現したりして、
いなてぃす氏にも同じ岩場を登らせたり、木の板の橋を渡らせたりした。
EF81牽引の貨物列車
[ネガフィルムよりキャプチャー]
キムワイプ色(二次新潟色)はまだ新しい塗装だったような気がする。
EF81牽引 12系和式客車『ふれあいみちのく』[盛モリ]
[印画紙プリントよりキャプチャー]
翌日、大阪に来る『アイランドエクスプレス四国』がEF65-123牽引なんじゃないか?ということで、
俺達は予定を変更し、大阪方面へ向かうことにした。
そこで、北陸本線経由で敦賀へ…
ホテルα-1敦賀を予約し、北陸本線に乗り継いで向かった。
福井で一旦、降りて夕食。
ホテルα-1敦賀は、駅から徒歩20分くらいかかった。
24:00頃に到着した。
翌日の日記へ続く…
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