(この日記は1989年8月23日の内容だが、ブログ投稿は2021年2月2日)
1989年8月当時の俺は16歳(高校2年生)
━━━━前日からの続き━━━━
直江津駅を深夜2:00頃に出発して歩き始める。
有間川まで、鉄路での営業キロは10kmくらいだが、線路沿いにずーっと道があるわけではないので、
実際、歩くとなると、もっと道のりがあるかもしれない。
田舎なので街灯も少なくて、真っ暗だった。
懐中電灯もないので、本当に真っ暗。
たまにクルマが通りかかる程度。
次第に目が馴れてきて、なんとか歩くことができた。
ところが、途中、歩道を歩いて行くと、電気も点いていない真っ暗なトンネルがあった。
あまりにも真っ暗で、どんなに目が馴れても見えてこない暗さだった。
どうしようか一瞬考えたが、
車道の端っこを歩くことにした。
車道なら、まだ月明かりがあったり、たまにクルマが通るので、その光で少しは見える。
そして、早朝、4:30頃に有間川駅に着いた。
しばらく駅の待合室で休憩。
朝、5:30頃に、海バックの俯瞰の撮影地に登った。
(以下、全部、ネガフィルムからのキャプチャー 変色がひどくて(+。+)アチャパー)
9:30頃、丘を降りて、
10:25の電車に乗った。
親不知へ…
有間川駅は無人駅なので、親不知駅で降りる際にハンコ押してもらったような気がする。
(下車印も押してくれた)当時は親不知駅は有人。
親不知の海水浴場の出店でヤキソバとタコ焼きを食った。
そういや、およそ24時間ぶりの食事だった。
(自動販売機の缶ジュースとかは途中で飲んだけど…)
当時はコンビニも少なかったので、深夜に歩いた際もコンビニはなかった。
(現在はあるけど)
13:20頃、親不知駅に戻り、あとは電車に乗って帰ることにした。
帰り、長野駅でカレーライス🍛を食う。
たぶん駅のホームの立ち食いそば屋みたいなところだったと思う。
当時は、信越本線がつながっていたので、直江津から帰って来る時は、長野経由で信越本線で帰ってきていた。
家に着いたのは、24:10になっていた。