1989年5月4日(木)の鉄道写真撮影日記。
(この日記は1989年5月4日の内容だが、ブログ投稿は2021年1月9日)
1989年(平成元年)5月当時の俺は16歳(高校2年生)
この前日の夜、20:20頃に出発し、
上野から『能登81号』に乗車
指定席 4号車4番C席だった。
乗った車輛はオハ12-22だった。
高崎駅で長い停車があったので、駅の公衆電話から家に電話した。
当時は携帯電話も無い時代だ。
俺は未成年だったので、帰りが遅くなる時や、泊まりがけの時は、いちいち親に知らせなければならなかった。
直江津までEF62-46牽引だった。
直江津からEF81牽引になる。
魚津には朝、5:24に着いた。
魚津から歩いて、富山地鉄の電鉄富山駅へ…
富山地鉄に乗って西魚津駅へ…
6:17頃になる。
歩いて、北陸本線をチューリップ🌷畑で撮影できる撮影地(東滑川~魚津)へ行ったが、
チューリップ🌷の殆どが、首が切られていた。
結局、JR北陸本線(←当時)(現在の「あいの風とやま鉄道」)をチューリップ🌷絡めて撮りたかったが、
北陸本線寄りでは殆どのチューリップ🌷の首がチョン切られていたため、
チューリップ🌷が咲いている所では、富山地鉄しか撮れなかった。
西魚津駅付近でも富山地鉄を撮影。
このあと、魚津駅に戻って、立ち食いそば。
魚津駅先端で485系[新カヌ]の特急『北越』を撮る。
↓ ケツ撃ち
こっち側は貫通型だった。
475系の普通列車も撮った。
このあと、たまたまEF81-503の貨物列車が来た。
後ろには、有蓋車(たぶん「ワキ」)が連なっていた。
それを駅間の沿線で撮ろうと思って、東滑川へ移動。
鉄橋で撮ろうと思って歩いていたら、予想より早くEF81-503が来てしまって、焦って撮ったらこんな構図に…
ちょうど、富山電鉄の越中中村駅があったので、そこから富山地鉄に乗った。
無人駅だったが、すぐ検パが来て車内精算。
魚津まで買った。
JR北陸本線(←当時)(現在の「あいの風とやま鉄道」)で親不知へ…
親不知の砂浜を歩いてみた。
砂浜は観光客らで賑わっており、出店なども出ていた。
『親知らず子知らず』の歌詞に出てくるような、
「有磯の岩陰に苔むした地蔵が霞む沖をじっと見つめている」所がどこだか?
さっぱりわからなかった。
ゲバを立てて、セルフタイマーで記念撮影
ビックリマークの道路標識なんて、実物を見たことがなかったので、
珍しいと思って撮った。
親不知駅には、色んな色のチューリップ🌷が咲いていた。
紫のチューリップ🌷もあった。
このあと、有間川駅へ行った。
有間川駅で降りるとレチに「有間川ですよ~」って言われた。
めったに有間川で降りる人がいないので間違えて降りたと思われたようだ。
フィルムの残りが少ないので、どこかで買おうと思ったが、店がない。
有間川駅からしばらく歩いた所に、小さな駄菓子屋があったが、そこでもフィルムなんて売ってない。
チョコレート🍫を買って駅に戻った。
飲み物を飲もうと思ったが、駅に自動販売機も無い。
再び、さきほどの小さな駄菓子屋へ戻って飲み物も買ってきた。
坂の上へ行って、『鉄道ダイヤ情報』誌に掲載されている海バックの俯瞰の撮影地へ行こうとしたが、
行き方がよくわからなくて、諦めて駅に戻った。
駅のベンチで、さきほどのチョコレート🍫を食って飲み物も飲んだ。
ゲバを立てて、セルフタイマーで記念撮影
【了】
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