以前にどこかで書いたかもしれないが、私が乗りつぶしの対象にしていたのは、1987年3月まで存在していた日本国有鉄道(国鉄)の旅客列車が走る路線であって、その翌月、JRになってから開業した路線は、対象から外した。
 それというのも、1985年3月に大学を卒業し社会人になってからは、時間的にもさらに経済的にもかえって余裕がなくなって、すでに「鉄道に乗るだけ」の旅に疑問をもっていた私は、JRまたは第三セクター経営の鉄道に移行してからも乗りつぶしを継続するファンが多いなかで(国鉄全線乗りつぶしたのに、また「JR」として一から乗り直す人も、決して少なくないようだ)、「JRも第三セクターも、しょせん『私鉄』でしょう」とばかりに、乗るのをやめてしまったのである。また、くしくも国鉄誕生と同じ年に結婚。その相手が鉄道好きではなかったのも個人的には大きな理由だった。

 ただ、国鉄であった間(すなわち独身の期間)は、全線完乗のタイトルを防衛すべく、つとめて新規開業路線に乗りに行っていたのは確かだ。ここで日記をつけていなかった路線や区間について、いつ乗ったのかを以下に記す。

1982年6月18日-山手線
学校帰りに池袋から内回りでぐるりと一周。正式な区間は品川-田端(渋谷・新宿・池袋経由)で、東京-品川は東海道本線、東京-田端は東北本線に帰属する区間でありすでに踏破していたかもしれないが、あらためて「一周」したことで、完乗とカウントした。

1982年11月20日-水戸線
小山-友部間は同じ年の7月3日に、真岡線などとともに踏破。11月20日、当時の大型時刻表に掲載されていた小山短絡線(小山駅を通らない、間々田-小田林間)を踏破し、完乗とした。この日は腹痛をおして行ったため、日記を書くどころではなかったようだ。

1985年3月14日-東北新幹線・鹿島線
この日、東北新幹線の上野-大宮間が開業。ひと駅区間だけ乗りに行く(同行の士も少なくなかったようだ)。また鹿島線の鹿島神宮-北鹿島(現・鹿島サッカースタジアム)間はもとから国鉄の所管であったが、鹿島臨港鉄道の列車しか走っておらず、従って踏破対象区間には含めてなかったが、この日をもって時刻表に国鉄線であると明記されたため、相変わらず鹿島臨海鉄道の運行ではあったが、乗りに行った。

1985年9月30日-埼京線
この日、もともとの赤羽線に続く形で、赤羽-大宮間が埼京線として開業。

1986年3月3日-予讃本線新線区間・京葉線・埼京線
内子線を取り込む形で、この日開業した予讃本線の山回り区間(向井原-内子、新谷-伊予大洲)を踏破。その勢いで帰京、同日より旅客列車が走るようになった京葉線(西船橋-千葉港)、埼京線(新宿-池袋、山手貨物線に乗り入れ)も乗りつぶす。

 国鉄線乗りつぶしの旅行記はひとまずこれで終了になるが、じつは自分にとって、生まれ故郷に悲願の鉄道が通るということで開業日に乗りに行った三陸鉄道北リアス線・南リアス線(1984年4月1日)と、それから35年、震災などを経てあらためて「全線」開通となった三陸鉄道リアス線(2019年3月23日開通・自分が乗りに行ったのは同年4月29日)のことも日記に記しており、ぜひ公開したいと思っている。
 ブログのそのほかの記事も含め、もう少し整理してから更新予定なので、楽しみにお待ちいただきたい。