トロイを発掘して古代史を塗り替えたドイツのシュリーマンをご存知ですか?

 

彼はとにかく語学の天才でした。マスターした言語の数は実に12カ国語。

そこで気になるのが彼の語学習得方法。実は今注目を浴びている「素読」の方法にかなり近似しているようです。

 

彼の波乱万丈の人生は岩波文庫または新潮文庫の『古代への情熱』の中で紹介されています。自伝の部分は最初の30頁弱ですから、ぜひご一読されることをオススメします。

 

古代への情熱

 

彼の語学習得術で驚かされるのは、タイトルにもあるその「情熱」です。

彼は14歳~19歳まで小売店の小僧さんをしていました。以下、自伝を引用。

 

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私は朝の5時から夜の11時まで忙しく過ごして、勉強する自由な時間は少しもなかった。それにもかかわらず、学問に対する愛着を失ってはいなかった――いや、それは断じて失わなかった――また粉屋のヘルマンが私の店に来た夕も、私が生きている限りは忘れられないだろう。

彼は高等学校卒業間際に品行不良のために放校され、粉屋の小僧に雇われてぶらぶらしていた。この若者は境遇に対する不満から、ほとんど酒癖に陥っていたけれども、そのために彼のホメロスを忘れることはなかった。それで前に述べた夕には、彼はこの詩人の句を100句以上も我々に暗唱して聞かせ、しかもそれらの句を非常な情熱をこめ抑揚をつけて朗読した。もちろん、私はそのうちの一語も分からなかったけれども、その旋律的な言葉から、私は最も深い印象を受けて、自身の不幸な境遇に対して熱い涙を誘った。彼はそのすぐれた神品の詩を私のために三度繰り返さねばならなかったが、その返礼に私は三杯の焼酎を彼にふるまい、そのために全く私の財産の底をはたいた数ペンニヒをも喜んで投げ出した。あの瞬間から私は神に、御恵によって、いつかはギリシア語を学ぶことが許される幸福を、我に与え給え、と祈願してやまなかった。

しかしながらこの哀れな賎しい地位から抜け出す口はどこにも開かれそうに見えなかった。しかしついに突然、まるで奇蹟のようにそれから解放された。余りに重い樽を持ち上げたために、私は胸を痛めた。吐血して、もはや自分の仕事ができなくなった。私は自暴自棄になってハムブルクまで歩いて行った。そこで南米行きの船に乗ったが、出航直後、暴風雨に遭い、難破した。幸い母の知人の紹介で、ある事務所に就職できた。

 

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この時彼は給料の半分を語学に割き、残りの半分を極限の生活費にあてます。住居は屋根裏部屋で冬は霜に震え、夏は焦げつくような暑さ。食事は裸麦のかゆで、まるで馬の飼料のよう。

 

しかしその緊急切迫した境遇から、彼はあらゆる言語の取得を容易にする方法を発見したのです。

 

その方法とは非常に多く「音読」すること。「古典」を片っ端から暗唱することでした。大声で多読したためか、彼の胸部の疾患は1年で全快し、その後再発することはありませんでした。この後、外国語の習得によって彼の人生は大きく花開いていきます。