論語漫歩822 『星の王子さま』 「大人と子供」56 「まぼろしのノーベル賞!」2 | キテレツ諸子百家〜論語と孔子と、ときどき墨子〜

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孔子、墨子をはじめ諸子百家について徒然なるままに語らせていただきます。

 前回我々は、衝撃の事実を知った。本当は、日本最初のノーベル賞受賞者は湯川秀樹博士ではなかった。彼より20年も前に受賞者が存在していたのである。

 残念なことに、選考委員会の判断ミスで、「まぼろし」と消え去ったのであるが、、、、、、。

今回も、前回同様、「まぼろしのノーベル賞!」について。

 

 その人の名は 「華岡青洲」(はなおかせいしゅう)。

 

 何度も映画化され、演劇でも度々ロングランを続けた、有吉佐和子の名作『華岡青洲の妻』でお馴染みである。

 

 彼は、紀州和歌山の人。1760年に生まれ、幕末に近い1835年に亡くなっている。

22歳で、京都に遊学し、漢方とオランダ外科学を学ぶ。3年後に帰郷し、医を開業。

 彼は、山極勝三郎と同じく、妹を乳ガンで亡くしている。苦心の末、「曼荼羅華」(まんだらげとは、サンスクリット語で、天上に咲く花、という意味。和名はチョウセンアサガオ)を原料にして、「麻沸散」を完成し、1805年、世界初の、全身麻酔による乳ガン手術に成功している。

 当然、ノーベル賞を受賞するはずであったが、残念なことに、ノーベル賞の授与が始まるのは、それから約一世紀後の1901年からである。

 ここで、山極と青洲の共通点を挙げてみよう。

 

1      共に、病気で肉親を亡くしていること。山極は愛児を、青洲は妹を。

2      共に、西洋医術を学んでいること。山極はドイツ医学を、青洲はオランダ医学を。

3      共に、「まぼろしのノーベル賞」で終わっていること。

 

 ちなみに、モントリオールにある世界外科学会殿堂の壁画に青洲の肖像画が描かれているという。中央に青洲。両側に、人体実験を申し出る妻と母の絵が。

 

 実を言うと、麻酔薬「麻沸散」を最初に作ったのは青洲ではなかった。彼より1600年前の後漢末の名医「華佗」(かだ)である。彼は、魏の曹操の侍医であったが、曹操に殺された。『後漢書』方術伝に、彼の詳しい伝記が載せられている。『万葉集』巻五に山上憶良の「沈痾自哀文」(ちんあじあいぶん)がある。万葉集で最も長い漢文である。そのなかに華佗のことが記されている。

 華岡青洲は華佗の「麻沸散」を「復活」させたのである。

これぞ論語に言う「温故知新」(故きを温ねて新しきを知る)ではなかろうか。