前回我々は、『荘子』養生主(ようせいしゅ)篇に登場する料理の名人庖丁(ほうてい)(包は料理、丁は男の名。今では普通名詞・ほうちょうとなっている)には、「牛」しか目に入らなかったように、少年清兵衛にも、瓢箪しか目に入らず、ある日、屋台店から飛び出して来たじいさんのはげ頭を瓢箪と見間違えて大笑いするのを見た。
今回は、その続きである。
これほどの凝りようであったから、彼は町を歩いていれば骨董屋(こっとうや)でも八百屋(やおや)でも荒物屋でも駄菓子屋でもまた専門にそれを売る家でも、およそ瓢箪を下げた店といえば必ずその前に立ってじっと見た。
清兵衛は十二歳でまだ小学校に通っている。彼は学校から帰って来るとほかの子供とも遊ばずに、一人よく町へ瓢箪を見に出かけた。そして、夜は茶の間のすみにあぐらをかいて瓢箪の手入れをしていた。手入れが済むと酒を入れて、手ぬぐいで巻いて鑵(かん)にしまって、それごと炬燵へ入れて、そして寝た。翌朝起きるとすぐ彼は鑵をあけて見る。瓢箪のはだはすっかり汗をかいている。彼はあかずそれをながめた。それから丁寧に糸をかけて日のあたる軒へ下げ、そして学校へ出かけて行った。
清兵衛のいる町は商業地で船つき場で、市にはなっていたが、わりに小さな土地で二十分歩けば細長い市のその長いほうが通りぬけられるくらいであった。だからたとえ瓢箪を売る家はかなり多くあったにしろ、ほとんど毎日それらを見歩いている清兵衛には、おそらくすべての瓢箪は目を通されていたろう。
十二歳の清兵衛にとって、瓢箪は、星の王子さまにとっての「一輪のバラ」であった。
彼はほとんど毎日、町中の瓢箪を見て歩いた。文字通り、彼は竜宮城、エデンの園、歓びの
天上に居たのである。