前回我々は、「うぬぼれ」が、「人間性」の対極にある事を見た。
我々は知っている。「うぬぼれ」(驕り)がサタン(悪魔)の本性であることを。
前回我々は、「うぬぼれ」の対極にある、「譲」(ヘり下ること)と「敬」(人を敬うこと)が、人間の、ひいては国の真のあり方であり、「文化」の本質であることを見た。
今回は、その続きである。
「プライド」は、もちろん大切である。
しかし、自分を尊敬できる人は、他者をも尊重できる。
夫婦・親子・兄弟姉妹・友人同士・同僚・師弟・上司部下・国同士が、お互いにへり下りあい、敬い合う。それこそが「礼」(文化)であると、五経の一つ『礼記』は言う。
他者のために 命を捧げる
これこそが、キリストが、そして星の王子さまがしたことではないか。
その対極が「うぬぼれ」(己を愛すること)である。論語漫歩573「己(おの)れを愛するは善からぬことの第一なり」を再掲してみよう。
今回は、「私」(己れを愛する心)について見てみよう。以下、『西郷南洲遺訓』(岩波文庫1839年P14)第二十六章の全文である。
己れを愛するは善からぬことの第一なり
修業の出来ぬも
事のならぬも
過(あやま)ちを改むることの出来ぬのも
功に伐(ほこ)り 驕慢の生ずるも
皆な自ら愛するがためなれば、決して己(おの)れを愛せぬものなり
「己れを愛する心」(私)は、「誠」(天の道)の対極にある。
西郷隆盛は、まさしく「無私の人」・「誠の人」・「天の道を実践した人」であり、キルケゴールの言う「宗教的実存の人」であり、「星の王子さま」そのものであったのである。