論語漫歩673  『星の王子さま』  「生きたる渾沌」 | キテレツ諸子百家〜論語と孔子と、ときどき墨子〜

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孔子、墨子をはじめ諸子百家について徒然なるままに語らせていただきます。

 

 前回我々は、『五重塔』の名人「のっそり十兵衛」が、いかに「荘子哲学」の「絶対者」の好例であるかを瞥見した。

 今回は、いよいよ『荘子』の「テーマ」である「渾沌説話」と並ぶ、もう一つの説話「胡蝶の夢」の結論である。

 例によって、福永光司先生の『荘子』1956年朝日新聞社P124を引用させていただく。

 

   荘子は、夢と現実の混淆の中で、

      生きたる渾沌

   としての道を、

      生きたる渾沌

   として楽しもうというのである。

      生きたる渾沌

   の中では、

      是と非

      可と不可

      美と醜

      大と小

      長と短

   など、あらゆる価値的対立が一つであるばかりでなく、そこでは

      夢も亦現実であり

      人間も亦胡蝶(自然物)である。

   荘子はこの

      生きたる渾沌

   の中で、与えられた自己の現在を自己の現在として逍遥する。

      美も亦よく

      醜も亦よく

      生も亦よく

      死も亦よく

      夢も亦よく

      現実も亦よく

      人間であることも亦よく

      胡蝶であることも亦よい。

 

   荘子は、一切の境遇を「よし」として肯定するのである。