前回我々は、『五重塔』の名人「のっそり十兵衛」が、いかに「荘子哲学」の「絶対者」の好例であるかを瞥見した。
今回は、いよいよ『荘子』の「テーマ」である「渾沌説話」と並ぶ、もう一つの説話「胡蝶の夢」の結論である。
例によって、福永光司先生の『荘子』1956年朝日新聞社P124を引用させていただく。
荘子は、夢と現実の混淆の中で、
生きたる渾沌
としての道を、
生きたる渾沌
として楽しもうというのである。
生きたる渾沌
の中では、
是と非
可と不可
美と醜
大と小
長と短
など、あらゆる価値的対立が一つであるばかりでなく、そこでは
夢も亦現実であり
人間も亦胡蝶(自然物)である。
荘子はこの
生きたる渾沌
の中で、与えられた自己の現在を自己の現在として逍遥する。
美も亦よく
醜も亦よく
生も亦よく
死も亦よく
夢も亦よく
現実も亦よく
人間であることも亦よく
胡蝶であることも亦よい。
荘子は、一切の境遇を「よし」として肯定するのである。