メイコンで、ネイティブ・アメリカンの博物館に行きました。わたしがアメリカに来た目的の大きなものが、① ネイティブ・アメリカンの歴史を知ること、②アフリカ系アメリカ人の歴史を知ること、③南北戦争の歴史を知ること、④9.11の場所に行くことでした。

 Lyftに乗って、長女が運転手さんに、「この辺りに南北戦争時代の砦があるらしいので連れて行ってほしい。」と聞いたら、「砦はあるが、それより“Ocmulgee Mounds National Historical Park”(オクムルギー・マウンド・州立?歴史公園)に行ったらいい。」と紹介してくれました。ネイティブ・アメリカンの博物館で“Ocmulgee Mounds NHP Visitor Center”があるというので、「それはいい!ネイティブ・アメリカンのことも知りたいと考えていました!」と即決で連れて行ってもらいました。




 (資料が正確に読み取れずに、間違って説明していたらすみません。わたしの個人的な解釈と思って読んでください。)ネイティブ・アメリカンの人々は、元々、中央アメリカのアステカとかの民族が、肥沃な土地や豊富な食料を求めて北アメリカ中に広がったようです。なので、生活様式や文化も、中央アメリカの古代民族の生活様式や文化を受け継いでいます。たとえば、“マウンド”この公園の名称にも入っている“マウンドとは、墓地、古墳、アステカ文明などにある“ピラミッド”です。この辺りには、石材で古墳を造れるほどの岩石が産出されなかったために、その構造の大部分が土によって造られていました。しかし、外見を見たら、中央アメリカのピラミッドのように見えますよね。 








 Ocmulgee Mounds NHP Visitor Center”の展示資料からわたしが読み取ったことは次のようなことです。メイコンのネイティブ・アメリカンの人々は、中央アメリカからこの地に移動し、中央アメリカのアステカ文化・文明を受け継いだ独自の伝統的な文化と文明を持ち、この地の豊かな自然の恵みを得て繁栄していました。しかし、西洋人が持つ兵力や兵器にはなすすべがありませんでした。この地からの移住を余儀なくされ、兵士の監視の中、他の地へと移って行ったそうです。

 “Ocmulgee Mounds NHP Visitor Center”が伝えようとした内容は、以上のようなことだと考えます。

 他の資料で調べてみると、ネイティブ・アメリカンの人々は紀元前にアジアからベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸に移動してきてとされるようです。さらにアラスカから南下し、北アメリカ全土、中央アメリカ、南アメリカと移り住んでいったようです。それをこの博物館の内容につなぐと、このメイコンのネイティブ・アメリカンの人々は、中央アメリカから逆に北アメリカ南東地域に移り住んだということになるのでしょうか。

 この博物館や他の資料で調べて思ったのは、ネイティブ・アメリカンの人々は、人種的な起源としてはアジアから移り住んだ人々で、それが北・中央・南アメリカに広がり、百を超える無数の民族、部族に分かれて、それぞれが独自の文化・文明、そして言語を持っていったということです。これは、東南アジアや太平洋の南西諸島、またアフリカ大陸、さらにユーラシア大陸のヨーロッパ以外の地域の民族、部族がそれぞれの文化や文明、そして言語をを持っていることと同じだと思います。

 Ocmulgee Mounds NHP Visitor Center”では、ネイティブ・アメリカンの中の、“Mounds”(墳墓)を作る文化・文明を持つ部族について、大変詳細に研究したものを展示し紹介してくれています。よくわかりました‼︎ありがとうございます‼︎